上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

リアル

本当にリアルなものってどんな感じなんだろう。

テレビの発達によって、地球上のありとあらゆるところの映像をお茶の間にいながらにして見られるようになっている。今では当たり前のように思えるけれど、なんかそのことによって、物を知る実感というものが薄れてしまっているのではないかという気がするのである。実際私たちは、色々な情報を得ることによって、行ったことのない土地に着いてある程度のイメージを持っている。それのせいで、実際に行ったときの感動というものが薄れてしまうのではないかという考えが頭を掠めるのだ。既に自分は、こうしてテレビや雑誌、インターネットなどでありとあらゆる情報を入手できるこの時代をリアルタイムで生きているのだから、そういうものがなかった頃を考えることは出来ない。氾濫する情報の中で、どれが大事でどれが大事でないかを無意識のうちに選り分けなければならない時代を生きている。そんな中で、今よりもずっとずっと情報量の少ない時代に生きていたら世の中の見方は変わったのだろうかということを考えてしまうのである。新鮮味あふれる世界。思い込みや情報、先入観に左右されず、割と純粋にその状況を楽しむことができるのではないだろうか。

おそらく、私たちにとって一番心に残るであろう出来事というのは、何かで見たことよりも、何かで聞いたことよりも、何より、自分自身が体験したことであろう。「心に刻み込む」ような。そんなリアルな体感をしているのだろうか。見ただけ、聞いただけの情報で、自分が知ったようなつもりになってしまってはいないのだろうか。おそらく、そういう純粋な感動というものは、不必要な思考によって邪魔されてしまうような気もしている。たとえば、奈良の大仏様を見たときに、純粋に「でかい!」と圧倒されるが先に来るのと、事前に仕入れた「高さは15メートル」という情報が先に来るのでは、受ける印象も違ってくるのではないかと思うのである。具体的な数値に気をとられている間に、そのもの自体への意識が薄らいでしまい、受けるインパクトが損なわれるのではないかということ。

もちろん、美術作品を鑑賞するときに、時代背景や作者を考慮に入れれば、より深い見方ができるというのも事実であるし、そのような視点を持っておくのも良いことではあると思う。ただ、そういう「鑑賞」では手に入れることの出来ない純粋なリアルが存在するのではないかという思いもまた持っているのだ。

うーん。