上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

信憑性

人づてに聞いた話とか、噂話とかいったものは信憑性に疑問があるので、本来ならば本人の口から直接聞かなければ信じるべきではないのだと思う。

例えば人から聞いた休講情報だって、もし仮にその情報が誤っていた場合には損害をこうむるのは自分なのである。そのとき責めるべき対象は情報を伝えた人でなく、その情報を信じた自分の側にある。不確かな情報はそのままいわれたとおりに信じるのではなく、むしろ確かめて初めて価値を持つと考えるべきではないのだろうか。

もちろん、全てのことを疑え、と言っているわけではない。根拠のハッキリしない情報に惑わされて結果として良くない結果が生じてしまったらもったいない、ということ。確認できる手段がある限りはそこは確認したほうが良い。

ただ、休講情報のように、掲示板まで見に行けば明確に確かめるための手段が存在する、という情報であればよいが、確かめようのない情報というものも世の中には存在する。その場合、どうすることも出来ない。そして、概してそのような不確かな情報のほうが、気になったり、重要なものであったりするのだ。その場合、ある程度のラインで線引きをする必要性が生じるのだろうけれど、その過程においておそらく間違った思い込みだとか偏見だとか言ったものが形成されてしまうのであろう。

…堀江氏を選挙に担ぎ上げたことを、今野党は国会論争の中で批判のネタにしている。この場合、「法律違反をしている人を選挙に担ぎ上げた」ことが問題であり、争点はおそらく「それを見抜けたか見抜けなかったか」にあるのだろうが、このことは仕方の無いことなのではないかと思う。結果論で言えばそういうことになるけれど、決断を下した時点ではおそらくその様子はなかったのだろうし、むしろ前回も書いたとおりにメリットもあったはずだ。そもそもそれに賭けて自民党は担ぎ上げたのだろうし(まぁ落下傘候補って言うのもあっただろうけど)。そういうことばっかり考えていては革新的な政治は生まれないのではないかと思う。結果的には今回は誤った判断だとなってしまったけれども、成功の裏には失敗が表裏一体でくっついてきているわけだし、それはそれで仕方の無いことなのかもしれないと思う。一歩違っていればまた世の中は変わっていたかもしれないし。

…あれ、途中で論点がずれたか。

株の世界なんかは特にうわさとかいったものに振り回されやすい。今回堀江氏が逮捕されるとわかっている人は誰もいなかったからこそ、それまでのライブドア株は高騰していたわけだし。こういうときにも、情報をどれだけ早く得たか、そしてその情報に対してどのような決断を自分が下すのかといったことが問題になってくるのだろう。決断は早ければ早いほうが良い。しかし、早ければ早いほど、少ない情報量から決断しなければならないということになる。

株の世界に限らず、生きている限りおそらく判断、選択の連続である。つまらない情報に振り回されて選択ミスをしてしまうことの無いよう、取捨選択はきっちりと行いたいものだ。