上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

年の瀬

今年は、年賀状を市販の素材集から印刷することにした。

2005年くらいから、年賀状の絵柄は自分でPCで作ることにしていた。今年は時間がなかった、といえばそれまでだけれど、きっと、時間は捻出しようと思えばできる。今年は、なんだかそんな気力がなかった、というほうが正しいのかもしれない。そもそも、まだ12月も13日。今日も、午後は部屋で寝ていた。時間がないなんてことはない。

結果が出ていない、というか、自分なりのベストを尽くせていなくて、それで結果はそれなりのものにしかなっていなくって、ということが続いていて、元からない自信がさらになくなっている。自信をつけるためには、自分なりのベストを尽くして、結果が伴って、ということを繰り返していくものだと思うけれど、すべてがそれなりでしかなくって、そんなことを繰り返していて、続いているものだから、すっかり自分を損なってしまっている。昔は、それでも、それなりに「こだわり」のようなものを持っていて、それはある意味矜持だとか、執着だとか、そういうものの表れだったのだと思うのだけれど、そういうものが最近自分の中から薄れて、なくなってしまっている。昔は、何かに挑戦しようとして、自分なりの色みたいなものを探しながら、まだ多少なりとももがいていたような気もするけれど、最近はそんな色みたいなものすら持たなくなって、周りの顔をうかがって、周りに流されて、それなりのものができるようにしか、動かなくなっている。その場だけとりあえずやりすごせればいい、適当でいっか、そんなもんだよね、別にいいんじゃない、なんとかなればいい。その繰り返し。それを繰り返しているうちに、さらに自分を損なっていって、自信がなくなって、自信がないからやり過ごすことしか考えられなくなっていく。それなりのこと、で世の中が回っていくと思っている。

それなりに時間を割いてしっかりと物事に取り組みたいけれど、目の前に次から次へと現れるものをこなしていくだけで精一杯で、とても、ひとつひとつを大切に扱う余裕なんてない。頑張らないなら頑張らないなりにひとつひとつにうまくいかないことがあって、些細なメンタルが簡単に傷つくものだから、疲れてしまって、状態を通常に保つだけでいっぱいいっぱいになっている。マイナスをゼロにするのがやっとで、それ以上のことが考えられなくなっている。きっと、他の人よりも、ひとつひとつの物事に、自分にマイナスの矢が向きやすい性格をしているから傷ついてしまうのだろうけれど。自分で自分を損ない続けたところで、誰にもプラスになることなどないのに。

きっと、人を好きになるということも、すごくプラスのエネルギーを必要とするものだと思っていて。「自分のことを好きになれない人は、人のことも好きになれない人です。」昔どこかで聞いた言葉が、今でも心の片隅に刺さっている。

10年後、どうなっているんでしょうか。ちゃんと、10年後を迎えることができるのでしょうか。