上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

平和ボケ

私自身の生活を考えても、会社という組織を考えても、日本という国を考えても、たぶん平和ボケっていうのは結構な割合で作用しているのだと思う。

人間は失敗経験から学ぶと思っていて、平和な時期が続くということは、それだけ危機に対する免疫が失われてしまうということを意味するのだと思っている。平穏無事に過ぎていくのはもちろん喜ばしきことだけれども、そうしている間に失敗の経験だとか記憶だとかは薄れていってしまって、危機に対する対応能力がなくなってしまう。

私自身のおよそ30年近い人生もそうだし、まだ7年ばかりの会社人生も同じことが言えると思う。いたって、平穏無事に来すぎている。ただのボケになっている。

このシルバーウィークで、別子銅山に行ってきた。なぜこんなことを突然言い出したかというと、日本はこれまで近代化の波に乗って、追いつけ追い越せで物凄い成長をしてきた。その結果、今の私たちがあるのだけれど、もう我々世代が生まれた時には、日本という国は豊かな国になってしまっていた。一種の平和ボケのような状況にあって、競争原理みたいなものがもはや我々世代には働いていない。世の中の雰囲気が既にそういう雰囲気になっているうえに、教育にも同じことが言える。小学校の頃から、徒競走をすれば同じようなタイムの子と一緒に走るようにされていたし、成績表も数字で出てきたわけではなかった。牙が抜かれた状態で育てられている。「ゆとり世代」「さとり世代」なんて言葉の背景には、結構こういうことはあるんじゃないかなぁ、と思っている。競争させられるように育てられてきていないため、打たれ弱くなっているんじゃないか。最近よく聞く諸々のハラスメントだって、企業の競争社会の中ではある意味「当然」と思われて行われてきたことが、一種の平和ボケのために当然でなくなってしまったことなのだと思う。

今所属している会社だって、昔のほうがずっとずっと理不尽がまかり通っていた。今は、だいぶ良くなったんだと思う。労働環境だってそうだ。銅山の過酷な環境での銅の生産も、昭和47年まで続いていた。昭和47年なんて、ほんの40年ほど前だ。40年で時代は大きく変わる。40年を「ほんの」ということができるのかどうかはわからないけれど、昔の人々の血のにじむような努力のおかげで、今がある。大した努力もしていない我々が、その恩恵をあずかってこうして豊かな生活を享受しているわけだけれど、大した危機対応能力もなく、自分の利害関係だけで主張ばかりを声高に行っている状況に対して、若干の危機感を覚えているのも事実である。主張だけは一人前にするけれど、本当に危機に追い込まれたときに、いざというときに何とかする力が果たして今の我々にあるのだろうか。上の世代を見ていて、最近思うのはここである。上の世代が経験してきているものは圧倒的に大きい。我々に、本当にそれだけの強さ、体力があるのだろうか。そこが、最近生活をしている中で感じている不安の根っこの部分にある気がする。

別子銅山では、山奥のとても辺鄙なところに、5000人規模の鉱山都市が形成されていた。そこには小学校もあり、演芸場もあり、大きな社宅があり、鉱山鉄道があり、生活がそこで完結していた。その場所で行われていたことに思いをはせた時、今の自分と対比して、なんとなくそんなことを考えた。GWに大阪万博の展示館に行った時もそうだったけれど、昔の日本の勢い、熱気みたいなもの。私にだけ欠けているのだろうか、それとも、我々世代に全体的に欠けているものなのだろうか。平和ボケ。時代のせいにしていては、いけないけれど。