上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

年齢を実感した話

ここ最近で一番年齢を実感した話。

22歳の新卒の子を「彼氏募集中だからさ」って言って紹介されたとき。最初はあまり気にしなかったけど、よくよく考えたときに、この瞬間ほど「あれ、俺もう29なの?!」って実感した時はなかった。

サークルとか職場とかで年下の人と接する機会はある。でもそれは、役割があってのことだ。先輩後輩関係だとか、指導員と見習いの関係だとか。そこにある程度の年齢差が生じているのはある種当然の話だし、なんら違和感はなく年齢を受け入れている。人生経験を少し余分に重ねているという利点の他に、そのコミュニティでの役割的なものも、長くいる分下駄をはかせて高く見させている。そのなかにおいては、29という年齢をそんなに高いと感じたことはない。会社で新卒の子を相手にするときの年齢も、サークルとか部活とかのOBとして高校生、大学生と対峙するときの年齢も、至極当たり前のもの、相応のものとして頭に受け入れられる。

そしてその関係性から発展しての恋愛関係だと、22歳という年齢でも、恐らくそんなに違和感はないんじゃないかと思う。実際、これまで18歳の高卒の女の子とか、20歳の専卒の女の子とかと飲む機会はあっても、向こうが「若いな」と思うことこそあれ、こちらが年老いたと感じることはあまりなかった。それは恐らく役割関係がある意味頭の中に無意識にあって、「相応の年齢」「相応の経験」だというのを無意識に思っているからなのだ。

しかし。

いきなり紹介された女の子と会う段になると、話が全然違うことに気がつく。会う前から(そもそも向こうが若いとか感じる前から)、単純に人間としての1on1だと気がついた瞬間、間に歴然と横たわる年齢差がガツンと頭を殴り付ける。「あれ、向こうから見たら29って、ただのオッサンだぞ?」と。役割関係を一切抜き去ったところに存在するのは、ただひたすらに純粋な「年齢差から来る」年上感のみである。人間力。社会人なりたての人間が、社会の中で6年を過ごした人間を見るときの感覚。そうしたものをリアルに想像したとき、25歳のそれや27歳のそれとは全く違う重みを持つ29という数字が表れてくる。一般的イメージとしての29歳。これに気がついたときの身の毛のよだつ感覚ったら無かった。これがまだ自分が25とか27のときの22、もしくは自分が29のときの25とか27ならまだ良い。29のときの新卒22歳。単純に職場の先輩後輩という関係なら全く意識されないけれど、ある種対等な位置に立つ、恋愛対象として捉えた瞬間のこの破壊力は、抜群のものがある。

別に30以上の人に嫌みを言ってる訳じゃないんです、不快に思われたらごめんなさい。私も数年後には同じ立場に立っている。でも、同じような人たちとずっと付き合っていると、周りも同じように歳をとっていくからあまり感じないけれど、異界の尺度が突然もたらされたとき、知らない間に遠いところに来てしまっていたことに突然気がつくんですよ、と思って。そんなことをつい最近実感しました、って話でした。思えば同じような年齢の人としか合コンしてなかったものね。

関係ないけど、何で紹介って時期が重なるんだろうか。一気に来て一気になくなるんじゃなくて、コンスタントに分散して来てくれればいいのに(笑)。