上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

ひねくれ

レミオロメン「モラトリアム」。8年前の曲、もう懐メロになってしまったのかしらね。活動再開はあるんだろうか。

好きな曲の1つ。言ってることは非常によくわかるしそう生きたい気もあるし、そうあるべきだと思うんだけど。凄く真っ当な姿だと思うけど。なんかこう、素直に自分にそれが出来るように思えないのは何故なんだろう。理想ではあるし、こう言い切りたいけれど、たぶん一生こう言い切ることは出来ないし、それが出来るようになったところでたぶんそれは自分にとっては、上から塗り固められた演技でしかない。こう思うようになってから、かれこれ何年が過ぎた?

表面上はそういう理想の姿を追い求めているし、そうあるように努めているけれど、結局根っこのところで醒めてねじ曲がってひねくれている自分を認めざるを得ない。どうしたらそんなものを信じることが出来るんですか。So what? そうやって生きられたなら、きっとすべてはうまくいくのだろうし、すごく真っ当な人生が送れると思うんだけど。でも、ひねくれてばっかもいられないから、結局上から塗り固めてそうやって見えるように生きようとしているんだけど。上から塗り固めてたら、いつかあるいはそれが本当になって、根っこのところまで浸透してそういう風に生きられるかな、と思いながら、懸命に生きているけれど。

スガシカオ「SPIRIT」。13年前の曲。せいぜいこの辺の前向きさが精いっぱい。「口笛でなら 少しは上手にふける」。

この人も昔はそうだったんだろうけれど、今は少なくともそっちの方向に脱皮を果たしたように「見える」。昔は根っこのところで後ろ向きな状態の中で、少しでも光明に向かって、懸命に前を向こうともがいていたように見えていたけれど、今はなんか開き直って普通に素直に前を向いちゃって、ちょっとファッション風に後ろも向けちゃうんだぜ、然として見えてしまう。もちろん、そっちのほうが健全なほうに近いとは思うんだけど。でもなんか、ちょっと遠いところに行ってしまった気がして最近の曲はあんまり聞いていない。余裕が出てきたら、果たしてそうなるのかしらね?それとも、年齢的なもの?もちろん、段階踏んでそっちに行ったと思うんだけど。

「君への手紙はちょっと 遅れるかも 片づけたいことがあるんだ…」。この自分が片付かない限り、まだまだ手紙は出せそうにない。