上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

初手術

人生で初めての手術をしてきました。背中に出来た粉瘤を除去する手術。

生まれて初めて手術室入ったけど、局所麻酔で意識があっただけに、なんか色々余計なこと考えた。

手術室の前の長いすで1人呼ばれるのを待ちながら、きっと大手術の時にはここに多くの人が祈りながら座って、永遠にも感じるような時間を過ごしているその場所なんだろうな、とか。通り過ぎるお医者さんだったり看護婦さんだったりを眺めながら、これだけ多くの人が働き、これだけ多くの人が出入りする病院と言う場所にはやはりドラマの舞台としてよく使われるだけの様々な人間模様があるんだろうな、とか。手術台の上にうつぶせになりながら、きっと数えきれない人たちがこの手術台の上に乗ったんだろうけれど、その人それぞれにそこで過ごした時間の重さってのは違ったんだろうなぁ、とか。心拍数を測る機械だったり血圧を測る機械だったりがつながれながら、一瞬を争う医療現場で便利に、かつ正確に動き続けなければならない医療機器を作る業界っていうのも日々進歩し続ける業界なんだろうなぁ、とか。背中に麻酔を打たれて切ったり縫ったりされながら、これだけ何も感じさせない麻酔ってすげえな、とか。ところどころ声をかけてくれる看護婦さんに応答しながら、自分がその痛みを経験しているわけでもないのに、やっぱり長年やっていると、こういうスキルでもないけどどういう場面でどういう声をかけるのがいいのかみたいなものも体に染みついて覚えるものなんだろうな、とか。会計しながら、医療費が高い高いって言われるけど、「ミスできない」業界である以上、そこで働く人だとかそこで使われる道具だとか薬品だとか機械だとかにお金がかかるのは仕方のないことだよな、とか。

なんか雑駁だけど、そんなようなことを次から次へとあてどもなく考えていました。無事終わってそのまま帰ってこられたからこんなどうでもいいことを考えていられたんだろうけれど、きっとそうじゃない状況っていうのも同じ場で繰り広げられているんでしょうね。なんかそんなことを考えて、自分の思考の裏に広がる膨大な「見えていないもの」「知らないもの」が覆いかぶさってきて、ちょっと暗い、複雑な気分になったな。いつものことなんだけど。

思えば自分は割と病院と言う場所に縁遠い人間で、骨を折ったこともなければ大病をしたこともなくて入院したことがない。病室に行ったのだって、小学生低学年くらいのときにばあちゃんが足の骨折って入院しただとか、高校の時に同級生がやっぱり骨折って入院しただとか、そんな記憶しかない。家族だとか親類だとか、そういうところで入院した人が物心ついてからいないのである。幸運にも。だから、なんかあんまり具体的にイメージが湧かなくって、たまにこうやって病院にいくと結構な空気の違いを感じ取って帰ってくるのである。なんか苦手なんだよな、大病院の空気って。もっとも、病院って「何かあった人」しか来ない場所だから、っていうのもあるのかもしれないけれど。でも、我々にとっては何かあった時にしか行かない特殊な場所だけれど、そこで働いている人たちっていうのはいるわけで、その人たちにとってはそれは普通の場所なのである。我々にとって、我々が働いている場所が普通の場所であるのと同じように。そこにはきっと表には出てこないたくさんの事情があるのだろうけれど、それは結局どこでも同じことなんだよなぁ、と思って。歳をとればとるほど、世の中そんなにきれいごとだけで回ってるわけじゃない、って思うようになるんだけど。そういえばあいつ医師やってるんだったなぁ、とか、看護師やってる人と合コンしたときこんなこと言ってたなぁ、とか、そんなのも思い出したりして。

世の中には生きている人の数だけの物語がある。たまにちょっと違うところに行ったりすると、そういうところに思いをはせたりしますね。まぁとりあえず、私の場合は軽く、無事に終わって良かった。このまま終わってくれると良いな。