上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

王道

昨日学年会を終えて帰ってきた夜に感じていたものは、きっと、4年前の王道の脇道のような意識を未だにどこかで持っている、ということなのだろう。

確かにステータスであるとか文字にされるものだけ見れば王道の部分も大きいのかもしれないけれど、肝心の中身の部分で脇道感が拭えないのかもしれない。多分この思いは未だに引きずっている。4年前も書いたように王道を諦めきれていない部分はあり、ステータスの部分、表面上の部分ではきっと未だにそれに近づくように行動しているのだと思う。ただ、その行動の原動力となる意識の部分というか、人となりの部分でなんかあまのじゃく的な部分があるために、なりきれていない。たまにこういう「王道中の王道」的な人間、というか、自分がそこにいることをあたかも当たり前のように体現している人間に出会った時に、そうした私の中のコンプレックスが強烈に疼きだす。眠らせていた負い目みたいなものが、鎌首をもたげる。

自分が自分であることに完全に納得しきっているならばこんなことにはなり得ないんだけど。おおよその部分では納得しているはずなのに、どこかで納得しきれていない部分があるからきっとこういうことになるんだろう。私の中の価値基準と世の中の価値基準の擦り合わせがまだ完全に上手くいっていないんでしょうね。飼い慣らしきれていない、というか。諦めきれていない、というか。

それを納得させるためには、まず結果を出すことなんでしょうね。結局、全ては結果だもの。結果が出ていれば納得も出来るものでしょう。そう、まずは結果だな。がんばれ。