上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

多様性

就活の時にもぼんやりと意識していたけれど、世の中に多様性というのはどの程度必要なのだろうか。

同種のものばかり混ぜ込むと衝突とかがないから楽は楽なんだけど、どうしても偏りが生まれてしまうため、抵抗力みたいなものは落ちる可能性がある。融通が利かなくなるかもしれない。この「楽」っていうのがミソで、人間は安きに流れる生き物である。だから、生きていればいずれは楽なほうへ楽なほうへと進んで行ってしまうのかもしれない。たとえば共同体でいうなら、昔ながらの共同体は年寄りから若者までごちゃまぜになっていたから、意見の対立等もあったとは思うのだけれど、その分多様な考え方を身に着ける場でもあったのだと思う。けれど、昨今の核家族化であったり、老人ホームの普及であったり、というところによって、そういう生きていく中での多様性っていうのは失われているんじゃないかと思っている。そのため、それぞれの世代の間で、考え方に偏りが生まれてしまっているのではないだろうか。

世代間の多様性に関してのみならず、階級的なものであったり、職種的なものであったり、その傾向はいろいろなところで見られるのではないだろうか。ひともそうだし、ものもそう。ものだって、大量生産、合理化によって均質化は進んでいると思う。店だって。サービスだって。個人的には、様々なバックグラウンドを持つ人なり物なりが集まることによって、衝突ももちろん増えるし、まとめるのは非常に難しくなるけれど、その代わりに豊かなものの考えかたを身に着けることができるようになるのではないか、という立場に立ちたいんだけどね。

均質なほうが「楽」なのは事実なんだ。面倒事は減るから。私だって、楽なほうがいい。だから、どっちがいいとは一概に言いきることは出来ない、と思う。かしこい人ばかり100人集まるのと、かしこい人からかしこくない人まで100人集まるのと、どっちがいいんだろうか。常識的に考えれば前者なのかもしれないけれど、本当にそうなの?とか思って。ちょっと昨今の世の中を見てると、前者的性質が強く出てきているんじゃないのかな、と思って。資本主義社会で企業で働いている限り、こんなところに疑問を抱いていてはいけないのかもしれないけれど。