上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

どれもほどほどに…

これが本当に好きです、と胸を張って言えるものが、いったいいくつあるだろうか。

昔からそういう傾向はあった。自己紹介が苦手だった。好きなものはなんですか。好きな食べ物は。ご趣味は。うーん強いて言うならチャーハンが好きだけど別に明日からもう一生食うなって言われればそれはそれでいいしなぁ、スノーボードとか卓球とかバレーボールとか確かに好きでやってますけど別にそんなにうまくもないしガッチリ入れ込んでやってるわけでもないですしねぇ。どれもこれも、同種のものの他と比べたらまぁ好きな方ですけれど、別にそれがなきゃだめだ、ってわけでもないかな、みたいな。

だから、オタク的な入れ込み方が出来る人が羨ましかった。どの道をとっても、自分よりその道に長けた人というのは必ずいる。そういう人に対して、引け目を感じてしまう。私ごときがおこがましく好きだっていうのもなんだよなぁ、みたいな感じで。もちろんピンからキリまでいるわけで、私は私でそれなりにやってはいるのだろうから、自分より下のレベルの人もずっとずっとたくさんいるのだろうけれど、やはり目につくのは上の方の人たち。「俺これについて語らせたら誰にも負けませんよ」なんて口が裂けても言えない分野ばっかりで、私なんてまだまだだわ…と思ってしまって、そこから先に行かない。だったら俺がそうなってやろう、と思わないところが私が私たる所以。別に引け目なんか感じずに堂々と楽しめばいいんだけどさ、趣味なんて(笑)。

仕事もそうなんだろうな、と最近思う。自分のやりたいことを明確に掲げて1つ1つの仕事に意志を持って全力で深く掘り下げて取り組むような仕事のやり方よりは、与えられた仕事に対して全体的に見て最善にたどり着く道を考えどれもこれも失敗ないように形を作ってまとめていくようなイメージ。うん、「まとめていく」っていう言葉のニュアンスが非常に近しいのかもしれない。良く言えば「うまくまとまっている」のだろうし、悪く言えば「小さくまとまってしまう」のが難点とも言える、のか。多分大きな事故は起こさないのだろうけれど、奇抜で優れたアイデアもあまり出てこない。

もっともこれはあくまで自分なりにぼんやりと相対的に見たイメージであるから(どちらかと言えば、というところ)、もちろんそうじゃなくて全然まとめられていないことだっていっぱいあるし、そんなレベルにも達していないときも多々あるけれど。でも、私の中にはなんとなくそういうタイプなんだろうなっていうイメージがあって、やっぱり情熱的に仕事に取り組める人っていうのが羨ましく見えてしまう。会社の研修とか行くとそういう意識を植え付けようとしているのはなんとなく感じるし、そういう仕事の仕方を奨励するようなビジネス格言も結構あるしね。いつも「あぁ、俺に足りないのはここだなぁ…」と思いながらそこから先に行かないのがまた私が私たる所以。

おそらく、人間関係もそうなのだと思う。色々な人とまぁ幅広くなかよくはやっているけれど、深く立ち入った関係になることってあまりなくって、それこそ毎月遊びに行くし何でも話せる!みたいな人はあまり思いつかない。たまに思い立ったようにあぁ、最近この人に会ってねぇなあ、とか思って会いに行ったり、この手の話題するならこの人だなぁ、って思って話したりだとか、そういうのは多いんだけど。たぶん会わなくなったら会わなくなったで、そんなもんだなぁと思って(思われて)しまうのだろうな、と思ってたまに寂しくなる。

別に、そういう関係を望んでいないわけではないんだけど。「誰にとってもいい人」って、「誰にとっても(都合の)いい人」だとか、「誰にとっても(どうでも)いい人」だとかになる可能性が十二分にあると思っていて。まぁそれはそれでもその時必要とされるならいいか、っていう考え方もなくもないんだけど、でもそれだとなんかやっぱり寂しいよなぁ、と思う。「あなたが死んだときに悲しんでくれる人は何人くらいいますか、そのとき一時的に悲しんであとは忘れてしまうだけではなくて、何かしらの拍子に思い出してその時にも悲しんでくれそうな人は何人くらいいますか」っていう問いかけがふと頭をよぎることがあって、うーん、と思ってしまう。でもそこから先に(以下同文)。

理由はいくつかあるんだろうけれど。

まずもって性格的に八方美人。100点の教科もあるけど60点の教科もあります、的な感じよりは、どれも80点ですね、な感じのほうがなんとなくしっくりくる。最近はどれも60点になってるかもしれないけど(笑)。失敗するのが怖いと思っている部分は大いにあるのでしょう。自分に保険をかけている部分はあるのかもしれない。ある程度最初っから自分を卑下しておくことによって、傷つくことを防いでいるんでしょう。はたまた逃げ道を作っているという見方をすることも出来て、選択肢がたくさんあるフリをしておけば、どれか駄目でも結局どこかに逃げられる(ように見える)というのもあるのかもしれない。面倒臭がりっていうのも絡んではいると思う。60点を80点にする努力より、80点を100点にする努力の方が大変だもの。1つを100点にするために努力するんだったら、その分3教科80点にしたほうがいいなぁ、って思ってしまうんだろうな、おそらく。でも、自分の中にダイナモがない、っていう説明をつけることも出来るんだろうけれど、それよりは、やっぱり逃げているだとか、自分を良く見せたいだとか、失敗したくないだとか、そういう「怖れ」からくる部分が大きいんだろうなぁ、きっと。

まぁそんなこんな結局色々な理由があるんだろうけれど、そんなことをしているといつかどこにも行けなくなってしまうよ!

と思いつつ世の中には色々なタイプの人がいていいと思うんだけど、とかいうのはまた自分自身からの逃げなんだろうな(笑)。この生き方はこの生き方なりに突き詰めていけば、まぁそれなりに結構なところまで行けるんだろうけど、そこで行き着いた先は果たして私が望んでいた未来ですか。そして、この道でそれ相応になるためには、きっと今以上にそれなりの努力をしなければならないんだと思いますよ。その覚悟はあなたにありますでしょうか。今さら変えられるもんでもないのかもしれないけれど、でも変えようとする試みくらいはやってみてもいいんじゃないのかな。もし、不満に思っているのならば。不満でないのなら、もうそれは仕方がないからこれはこのままいきましょう。