上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

常識

私は常々「常識人」でありたいと思っているけれど、結局どこまでが常識なのだろうか。世の中的に大半の人が常識と認めるところを常識とするならば(おそらく常識の定義はそれが一番正しい)、私の考え方は少し常識からは外れているのだろう。考えて理想とするところ(内面に留めおく部分)と実際どう行動するかというところ(表出させる部分)は違って良いと思ってはいて、結局は表出させる部分を世の中一般的な「常識」に合わせるのが現状での最善の策だと考えている。そうやって常識人を標榜しているけれど、たまに、そのズレの目測が正しいのか不安になるときがあって。そんなとき、こう思ってしまうのである。

先のドタキャンの話だってそうだ。遅刻だってなんだって、結局行き着くのは常識の話。要するに、相手がある話なんですよ。相手がどう思うか。全てはそれ。常識人ならば、相手が不快にならない適切な対処をすることが出来る。常識と相手への配慮ってのは、同じ土俵の話なんだと思います。