上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

成長

ちょっと待ってよ、もう26だってよ、26…。

今年1年が終われば、大学時代に積み上げてきた4年間を卒業後の4年間が上回ることになる。

中学時代の3年間が始まる前と終わった後、高校時代の3年間が始まる前と終わった後、大学時代の4年間が始まる前と終わった後、それぞれに、それぞれなりの変わったものがあった。ここがこう変わった、改善された、というものを、おそらく、自分の中で明確にそのそれぞれのステージなりに見出すことが出来る。だがしかし。この社会人生活、何かプラス方向に積み上げてきたものはあったのだろうか??

スキル的な部分は置いておく。中学高校で授業をこなしてテストを受けて学んできたことのように、大学で本を読みレポートを書いて身につけたことのように、社会人として普段の仕事をこなすうえで身に着いてくるもの、というのは必然としてある。学生の本分、社会人の本分、的なところ。もちろんその部分も現時点において納得してない部分はあるけれど、そこに関しては多少なりとも身につけたものはあるはずだから、今回は、それはそれとして置いておく。問題はそれとは関係のない、人間的な部分だ。自らの弱点としてあった部分を、認識しているとしていないとに関わらず、克服できたのだろうか。これまでのそういう区切りにおいては、何かしらの形で、自分なりに成長はしてきたはずだ。自覚して直そうと思った部分もあるし、周囲の環境から意図せずして結果的に矯正された部分もある。そのいずれの形であれ、これまでの私においては、入学前の自分と、卒業後の自分では、何かしら成長した部分を挙げられる。けれど、社会人のこの4年間で、はたしてそういう何かを身につけてきたのだろうか??どちらかというと、何か変わった部分というのがなく、むしろ、今まで身につけてきたものの遺産を食いつぶしながら、生きてきたように思える。自分の壁の内側で、領域から出ることなく生きてきた、というか。壁をまわりに壊されなかった、というのもあるのかもしれないけれど、自分の中でそこに甘んじていた部分というのは絶対にあるはずだ。

肌の感じがあまり良くないだとか、筋肉痛が1日置いてから来るのが当たり前になっただとか、そういう身体的な衰えも実感することが多い。それは、変えようのない事実として受け入れざるを得ない部分はある。けれども、精神的な部分まで、成長する気をなくしては終わりだと思う。時代についていけない、といいながらも取り残されないように必死でついていこうとする姿の方が、今の時代が間違っている、最近の若者はなっとらん、とばっさりと切り捨てる姿よりは、よっぽど健全であると思う。時代に自分がそぐわないと感じた時に、自分がついていけなくなっていると思うのか、時代が間違ってきていると思うのかで、その後の行動やあり方は全く変わってくる。この4年間、そういう努力をしてきたんですか、ってこと。前者じゃなくて、後者寄りになっていたんじゃないですか、っていうこと。もちろんこれまである程度積み上げてきたものがあり、多少なりともそこに自信が持てるようになってきたから、それを活かす、というのは悪いことではない。むしろ、そういう風になろうと思ってきた大学4年間だった。しかし、だからといって、変わろうという気持ちをなくしてしまうのは間違っている。無論、完璧な人間になんてなれないのだけれど、少しでも欠点を潰して、より良い人間になろうとするのは人間として欠かしてはならない行いであるはずだ。最近、その部分でちょっとおごりが見えているのではないですか。

年を取るごとに、価値観というものは固定化していくものだけど、問いかけを重ねる中で未だに見えてくるものというのはあるはずだ。最近怠っているようだけれど、もう少し、なんとかするべきなるんじゃないの。