上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

付記

風呂に入りながら、メシを食いながら、なんとなく、SNSでなくここに文章を書き続ける理由を考えていた。しかるに、おそらく、

  • 押し付けがましさのなさ(タイムラインに関係の濃淡に関わらず無分別に羅列されるSNSと異なり、見たくない人は訪問しなければ良いだけの話で、見たい人だけ見ればいい、っていう気楽さ)
  • これまでの傾向では、自分にとって苦手で避けたくなるリアクションが来る確率が相当低い(現状ではほぼゼロに近いと思う。誰が見ているか把握していないけれど、直近の傾向としては。)

というようなことが主たる要因なんだろう(ログが取りやすい、デザインをカスタマイズしやすいとかいった実用的な面は置いておいと、心理的な障壁を考えたときに)。誰が見ているかわからない、ってのは一方で怖さもあるけれど(知人以外のところで、私個人の現実世界でのパーソナリティと結び付いていたらと思うと怖い部分もある)、相手の顔がわからない分逆に心理的に楽になっている部分もあるのだと思う。想像出来ないところに対しては想像を巡らせても意味がない。その意味での楽さ。

あと、余談で、この時間は正確には「くだらない」んじゃなくて、「非生産的」だと評価すべきだったね。「くだらない/くだらなくない」と「生産的/非生産的」は別次元の話で、どちらかというと後者のニュアンスを用いるべきだった。くだらないかどうかはわからないけれど、少なくとも、非生産的な時間だったと思う。社会人としての今の立場からすると。

以上。寝ます。おやすみなさい。