上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

苛立ち

これから結婚式の2次会に参加するために電車に乗っている。

脂っこい手で窓をべったり触って手形をつけて楽しんでいる子供を見て何も言わない親だとか、席に座って一心不乱に毛抜きで腕の毛を抜いている若い女性だとか、ずっと立っていた2人組の女子中学生が座ろうとしたところにさっと割り込んで座ったいい歳したカップルとか、そういうのがいちいち目について悲しくなる。次に座った人がどんな気持ちであなたの子供が汚した窓を眺めると思いますか。あなたが座席に撒き散らした腕の毛は誰の服に着いて何処にいくと思いますか。中学生が元いた場所に所在なげに戻っていくときの戸惑った顔をあなた方は見ましたか。あなた方がその立場だったら、どう思いますか。

そんなのにいちいちイライラしている自分に悲しくなる。やっぱり細かい人間なんでしょう。自分でもその自覚はあるし、迷惑かけるのは知っているから心の中で思っても表には出さないようにしているつもりだし、自分に照らし合わせて省みこそすれ、人にはそのレベルを求めないようにはしているつもり。自分にだって、恐らくそういう粗はいっぱいあるはずだし、人のこと言えるような立派な人間ではおよそありません。けれど、そんなことをいちいち気にしてしまう時点で既に「細かい人間」であるという事実は疑いようのない事実なんでしょう。プラスの意味を含んだ「細やかな」ではなく、マイナスの意味を含みもった「細かい」人間なんでしょう。でも目に入ってしまうんですよ。思ってしまった時点で負けなんですよ。何も気にすることなく気付かずにいられたら良いのに。それを見ても何も思わなければ良いのに。私だって、鷹揚な人間になりたいと思っていますし、そうあるよう努力もしているつもりです。何が楽しくて、こんな結婚式の行きみたいなキラキラしているべき瞬間にイライラしなければならないんでしょうか。そんな必要性は全くないんだもの。

これ以上考えていても自己嫌悪が募るだけなので、もう考えない。いくら自己嫌悪したって、もはや変えようのない性向であることに絶望する他、行きつく先はないんだもの。何か別の楽しいことを考えよう。その方が、よっぽど健全だ…