上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

経験の普遍性

首都圏から来てるレポーターが「時折強い雪が降っています!」って言ってる映像の路面がうっすらと白くなっている程度なのを見て、いかに首都圏中心に日本が回っているかを実感する。言うほど強くないでしょ。いっつも思うけど。

ああいう「体感型」のレポートって、確かに凄さは映像として伝わるのかもしんないけど、所詮あなたの体感でしょ、って思ってしまう。そりゃ普段雪をほとんど見たことない人から見れば、ちょっと雪が降ってるだけでおおごとのように感じるでしょう。それはそれで仕方のないことなんだろうけれど、それを全国向けに大々的にやるっていうのがどういう意味を持つのか。事実だけを伝えてくれればいいのに、余計な脚色をつけるから(しかもそれが個人の経験だけに基づいているのがよくない)、それがあたかも正しいみたいにして伝わってしまう。結構「風評被害」が今取り上げられることが多いけれど、それも風評被害の一種なんじゃないの。基本的に自分の経験で賄えない部分は他人からの伝聞で補うしかないんだけど、そうやって取り込む伝聞にはある程度の疑義を差し挟んでおくことが大事だと思う。それが、おそらくメディアリテラシーってやつだ。でも、この世の中ではまだまだメディアリテラシーの概念が浸透しているとも言えないし(っていうかそれがそもそも遍く必要なのかすらわからないしね)、テレビの影響力っていうのはまだまだ大きなものとして残っていて、個人のある意味偏った経験が、多くの人々の擬似的な経験として取り込まれてしまう、のかもしれない。だから「福島」っていうだけで県内全域が同じように放射能の被害を被っているように見られてしまうのかもしれないし、「新潟」っていうだけで県内全域で何メートルも雪が積もっているように見られてしまうのかもしれない。地域性に限らず、様々なところでその影響は出ていると思うし、実際に日々暮らしている中でそれを実感する機会は多々ある。ステレオタイプって本当に怖いですね。

でも結局は自分も大して変わらないんだろうな、って思って、自分の狭い経験だけで物事を判断しないようにしようと思った今日の朝。経験は増やさんきゃならん。あとは、偉そうに知ったか言うのをやめることだね、俺の場合(笑)。おそらく、口にしている言葉の8割は不要な言葉だ。