上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

Risk Taking

To laugh is to risk appearing the fool.
To weep is to risk appearing sentimental.
To reach out for another is to risk involvement.
To expose feeling is to risk exposing your true self.
To place your ideas, your dreams before the crowd, is to risk their loss.
To love is to risk not being loved in return.
To live is to risk dying.
To hope is to risk despair.
To try is to risk failure.
But the risk must be taken, because the greatest hazard in life is to risk nothing.
The person who risks nothing, does nothing, has nothing and is nothing.
He may avoid suffering and sorrow, but he simply cannot learn, feel, change, grow, love, live.
Chained by his certitudes, he is a slave, he has forfeited freedom.
ONLY A PERSON WHO RISKS – IS FREE

                                          Author Unknown

人は傷つくのを恐れてリスクを負うのを避けてしまうけれど、リスクを負わないと得られないものもある。自分自身の価値判断を信じて、それを貫き通す価値がそこにあると判断した場合には、リスクの問題ではなく自分自身を信じるべきだと思う。

リスクっていうのはある程度想像するような大きいものだけではなくて、ここに書いてあるように感情の表出とかそういうのも含めるんだと思う。対人関係において、言葉なり表情なりを発する、っていうのは、イコール自己を表出させるっていうことと一般的には受け取られる。そこには解釈が差し挟まるわけで、時にその言葉なり表情なりが独り歩きして「ホントはそんなつもりじゃなかったんだけどな」って思うようなときもある。だから、余計な誤解を招くんだったらおとなしくしてよう、っていうような意味合いのものも含めて。

特に小賢しい人ほど、計算高い人ほど、うまくリスクを避けて生きるような傾向があるんだと思う。それでなんとなくうまいこと渡っていけてしまうからだ。それはそれで自分自身で納得できているならいいと思うけれど、無理くりにでも自分を納得させていると思う瞬間がどこかにあるんだったら、それは違うんじゃないのか。もう少し、是正の余地がある。

「自縄自縛」という言葉を結構頭の中においていて、自分自身の行動を縛り付けるものは、一見周囲の環境のように見えるけれど、実は自分自身の思い込みであったり先入観であったりすることが多い。自分の勝手な思考で自身を縛り付けることのないよう、その縄は実は自分で張ったものでないのか、問いかける姿勢が必要なんだと思う。