上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

息切れ

夏場の華やかなイベントが続いたせいか、仕事の内容がガラッと変わりデスクワークになって違う生活リズムの中で3週間が経過したせいか、どうも最近、寄る辺のない焦燥感がふと湧き上がってくる。少し、そういう夏のキラキラした高いテンションについていけなくなっている。息切れ。

休日は必ず誰かとどっかに遊びに行かなければならない、みたいな強迫観念めいた高揚感の中にいて、この夏は相当出歩いた。もちろん、それを一緒にこなしてくれる人々がいたというのもあると思う。昔から休日を無駄に過ごすと言いようのない嫌悪感に苛まれていたけれど、そこに実行力と実行できるだけの環境が伴ってきた結果が今なのかもしれない。お金もあるし、人もいるし、自分自身の成長もあるし。でもちょっと、最近、息切れしているな、と思った。ちょっとオーバーペース。

一息ついたところで、なんとなく、寄る辺のない焦燥感がふと湧き上がってくる。結局、色々できるようになったつもりでいるのかもしんないけれど、お前、何も変わってないじゃねえか、みたいな。

まぁ周囲の環境が変わっているから、そういう「ちょっと下がり気味」になるのも当然と言えば当然なのでしょうけれども。慣れない仕事だしね。でも、今回の異動はこれまでに比べれば比較的スムーズに移行できたとも言える。その中で、やっぱりどうにもこうにも、なんとなく現状に満足しきれない部分が目についてきているというのは、それが事実としてあるからなのでしょう。おそらくは、八割方、自分に対する不満。もっとやれるでしょう、的な。

結果を焦るのがいけないのだろうか。得てして、結果を出そうともがくよりも、特にがっつかずに、自然体で淡々としているときのほうが、結果は自然とついてくるものである。今の私の生活を見る限り、目立った結果のようなものは見えてこない。自分が思い描いているような結果というのはあまり出てきていない。それは当然であり、その結果を手にするために正当な方法で正当な努力を私自身が出来ていないからである。その気になればそれなりには取り繕えるのかもしれないし、現時点でそれなりに取り繕っているからそれなりの今があるのだろうけれど、それじゃいつまで経ってもそれなりのままである。自分の普段の取り組み方にも問題があるし、それを改善しようとしない、正面から向き合おうとしない自分の内部にも問題がある。結果が出なくて当然なのに、結果を得ようとして焦っているのか、なんとなく、現状で、手詰まり感を感じている。周りが結果を出しているというのもあると思う。おそらく、アプローチの仕方を変えるなり、新たに手を打つなりしないといけないのだろうけれど、その意欲が湧いてこない。ちょっと空回りしている感じがしていて、その辺が寄る辺のない焦燥感につながっているのだと思う。とりあえず焦って手を出してみて、全部空振っているみたいな。少し落ち着いてみたほうがいいんじゃないか。何も考えずに、とりあえず自然体に戻る、っていうか。浮ついている。

なんだかぼんやりと思うようにいかないままに、ふわふわと時間だけが過ぎていく。問題を明確にして、切り分けて解答を与えていかねばならない。

なんか、冷静になってみると、大した実力もないのに調子乗っててすげえ自分がダサくてカッコ悪く見えてくる。特に、最近の自分ね。この感覚が正常なのか異常なのか、その判断すら危ういけれど。昔の自分が今の自分を見たら、なんとなく、「きめえ」っていうんじゃないんだろうか(笑)。ある意味そうなろうとしてきた部分もあるのだろうし、どっちが「正しい」のかしらね。