上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

孤独?

今日は朝起きてから、食堂のおばちゃんと風邪の具合について二言三言言葉を交わしたのと、図書館の司書の人に書庫から本を取ってきてもらったの以外に、特に誰とも言葉を交わさずに終わった。そんな1日。

孤独が好きなわけではない。むしろ、割と孤独は苦手な方だと思っている。ただ、逆に干渉されすぎるのもあまり好きではない。置かれた状況からいろんな可能性を勘案し、選択した結果、仕方なしにこんな休日になった。それだけのことだ。単なる、我儘。要は、自分の周りに流れている時間を、自分のコントロールの範疇に置いておきたいだけなのだ。予定外、想定外のことを出来る限り減らし、全てを自分が主導権を握った状態で動かしたい。自分が納得しているように時間を過ごしたい。多分、そんな欲望がこの生活様式の根底のあたりに漂っている。ひとりでいる、ということは、イコール、その時間をすべて自分の思うがままに使うことが出来る、ということなのだ。だから、ひとと会うときも、自然と、単発的になる。あるいは、集団の中。

本当にそうなのだろうか。本当は、心の底では、どこかで誰かとつながることを望んでいるのではないだろうか。心のどこかで、どうしようもなく誰かに振り回されたいと願っているのではないだろうか。

言葉を交わしたいと思うけれど、それが誰でもいいわけではない。それは、すごく難しいことだ。時々によって、そのとき言葉を交わしたいとおもう人の顔が浮かんだりするけれど、いつも、そのタイミングは、完全に自分の都合にしか過ぎないから、結局あきらめてしまう。そんなもんだなぁ、って思って、忘却の彼方に置きざられるのを待つことになる。だから、1人で何でも消化してしまうことになる。もちろんタイミングと内容とがすべてが満たされた完璧な状況なんて、訪れるわけがないのはわかっているのだけれど、自分がペースを乱されるのが嫌いな人間である以上、ひとに同じことを強要するわけにはいかない。今日、とても久々に、村上春樹江国香織の本を読んだ。スタンスこそ異なれ、この辺の心の距離感を描くのが、非常に上手い。読んでいて安心できる。かなわないなぁ、と思う。読後の世界観に半分足をつっこみながら、今日の1日をそう捉えた。最近、こんな休日を過ごすことが多い。おそらく、明日も同じような1日が繰り返される。なんか、ここ数年、状況こそ異なれ、多かれ少なかれこんな感じで暮らしてきたのではないだろうか。

だから、こうやって、ブログっていう誰の顔も見えないところに、すごく抽象的な形にとっかえて、吐き出して昇華しちゃうのかもしれないね。

まだまだ、幼稚な思考から抜け出せそうにない。

あくまで1つの、仮定だけれどもね。