上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

春の足音

新潟にもようやく、春の足音が近づいてきました。

昨日は同期と3人で山奥の温泉に入りに。前から目をつけていた、日帰り営業は12時〜15時までしか営業していない温泉(宿泊営業ならいつでも可)に。渓流の中州みたいなところに内湯と露天がある別棟が建ってて、渡り廊下を渡ってそこに行くようになっている。もうちょっとで春の訪れを感じさせるような快晴の空のもと、誰もいない貸切状態で雪見風呂。市内から車で1時間くらい走るうえに、結構な山奥だし、人が全然いない。入ってから出るまで、誰も入ってこなかった。最高の贅沢。まだ1mくらい雪が残っていたし、気温もおそらく5度くらいしかなかったけれど、露天入るには気温は低い方が良いと思う。冬と春のギリギリ境目の、気温が低くて快晴の、きりっとしまった空気っていいよね。この快晴の空が徐々に増え始め、「あぁ、あったかいな」って思うくらいまで気温が上がりはじめたら、春はもうすぐそこなんでしょうな。

帰り道、道端でフキノトウを探し、山菜取りをしながら帰った。3人でビニール袋いっぱいに収穫。新潟もようやく、フキノトウの鮮やかな緑が雪と土の切れ間から顔をのぞかせはじめた。夜はそれをもとに蕗味噌と天麩羅を作りながら、それをつまみにビール。採りたてのフキノトウに軽く衣をつけてサクッと揚げて、揚げたてをつまむのも最高の贅沢。フキノトウの苦みって、ビールの苦みと同じで子供のころにはわからないものだったのだろうな。これも、今の時期だからこその贅沢。

同期は実家が山間部にあったりして幼少期からこういうのに慣れ親しんでいたから、どの辺にある、とか、どういう風に調理するのが一番うまい、とかっていうのを、身に染みついて覚えている。こういう知識って、ある意味「本物の中で」育たないと身につかないものだと思うんだよね。こないだ村上の雛街道(江戸時代からの「町屋」を保存している村上という町で、そこの商店などが同じく江戸時代などから各家に伝わる雛人形を展示しているイベント。とても良いよ)を見に行ったときにも思ったんだけど。そこで私たちに説明をしてくれた商店の人の知識が凄く豊富で感銘を受けたんだけど、結局こういうのって付け焼刃的な知識じゃなくって、そういう町で、そういう家で、「本物の中で」幼少期から育つことによって自然と身に着くものなんだなぁ、と感じたのを覚えている。外から入った私たちが後付的に本とかで知識を身に着けたとしても、それって表面的なものでしかなくって、身に染みついたものには勝てない気がするんだよね。そんなことをちょっと思った。

まだ相変わらず朝晩は氷点下近くまで冷え込むけれど、日中の気温は10度近くになってきたし、だいぶ春も近づいてきた。白鳥も北に帰り始め、フキノトウが顔を出し始め、雪割草が土の下から顔を出し始め、春はもうすぐそこ。

次はワラビとゼンマイだな、なんて言いながら、3月がもう終わります。