上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

1週間

震災の起こった日から、1週間が過ぎようとしています。

今は、皆がそれぞれ、痛みを分け合いながら、懸命に状況を改善しようとしている状況なのだと思います。まだ、急性期は乗り切っていない、のではないでしょうか。まだ、事態は落ち着いていないように思えます。まだ、次から次へと新しい事態が発生し、新しく発生した事象に対して、少しでも適応しようとして懸命に方策を行っている段階。定常化に向けてもがき、必死に試行錯誤している最中。災害に遭われた被災地の方々はもちろんのことですが、原発の問題、度重なる余震、計画停電、物資の不足など、対応しなければならない事態が、次から次へと私たちの生活にも起こっています。その中で、1人1人が、懸命に目の前の出来事に向き合いながら、努力をしています。私たちに出来ることは、シンプルだけれども、目の前の出来事に対して、冷静に、少しでも、自分たちに出来ることをしていくしかないのでしょう。仕事で色々な事態に対処している人がいます。そういった本来業務ももちろんそうです。また、それ以外にも、いくらでも考えることは出来ます。今話題となっている節電1つをとっても、個人でいくらでもやりようはある。個人的なことですけれども、11日以来、暖房を使うのをやめました。着る毛布を用いたり、同期の部屋に集まって少しでも使用する電力を減らしたり、出来ることを少しでもしようと思っています。こうした1つ1つの積み重ねが奏功していると信じながら、今の自分に出来ることを考えていく。そうした私たちの行動が重なることで、今のこの急性期を乗り切ることが出来るのではないでしょうか。

また、個人的なことになってしまうけれど、災害時には、人間性が露わになる。最近、凄くそれを感じます。良い悪いは個人の問題なので判断は別にするけれども、そうした露わになった強い人間性に接すると、凄く疲れる。最近そうした気疲れが多くなっている気がします。

批判や主張に接するのは昔から苦手だけれど、こうした未曾有の事態だからからか、弱っているからか知らないけれど、そうしたものが、やたらに気になります。いつもより敏感になっているのかもしれない。自分の身の回りの近いところ、個人的なものもそうだし、メディア報道などもそうだし、あらゆるところにこうした露わになった人間性が転がっている。どうにも、気になってしまう。それが良い悪いの問題は個人の問題だから善悪をつけるのは別として、どうしても、「苦手だな」と思うものが出てきてしまう。そういうものからは、ある程度シャットアウトして、意図的に目を背けるようにしているけれど、それでも入ってくるものは避けられない。そうした気疲れはあるように感じます。

メディアリテラシーの能力が、こういう状況では凄く強く必要となるのだと思います。どの情報にどれだけの意見が紛れ込んでいるのか。事実の切り取り方1つをとっても、そこには意思が紛れ込んでいる。今、少しでも確実で少しでも自分の判断の足しになる「事実」だけを中立に得たいと思うのだけれど、それが難しい。今、一人で情報を集めようとするときは、ネットの文字情報が一番適しているような気がします。ある意味、ネットの情報というのは、取捨選択がしやすいので非常に助かる。ざーっと読み飛ばしながら、必要な部分だけをさらっていける。見たくないものは見なくていい。テレビを見るときは、テレビのチャンネルをひっきりなしに回しながら、少しでも中立的な「事実」だけを集めようとしています。正直なところ、テレビで言うならば、まだNHKの報道が辛うじてここに近いくらいで、民放の放送からはとても難しい気がします。別に、何が良いとか何が悪いとかは個人的な好き嫌いの問題になるのであまり言わないですけれど(もちろんメディアの方々はそうした主張を届けるのがある種の使命なのですから)、まずその取捨選択の過程で、「意図」にさらされて、疲れてしまう。ある種、仕事をしているときのほうが楽だと思うときもあります。目の前のことにだけ集中していれば良いのだから。

取捨選択の能力によって、人の取る行動は変わってきます。今のこの現状では、この情報の波、そしてある意味「意図の波」といってもいいこの情報にさらされて、人の判断は非常に流れやすくなっている気もします。事実の切り取り方1つで、その情報が与える行動はとても変わってくる。今の、物資の不足の状況だって結局そうでしょ。ガソリンが不足している、水が不足している、という情報がテレビで流れれば流れるほど、その勢いは加速していく。オイルショックの時と同じです。人間ですから、恐怖に流されるのはある意味当然のことだけれども、着目すれば着目するほど、それが深刻な問題になっていく悪循環。もっと大事な問題って、いくらでもあるでしょ。そうしたある意味「旬」な情報にばかり目が行くけれど、全ての情報を一列に並べてみて、事実を客観的に見ることが必要とされるのだと思います。こういう、異常時だからこそ。

また、個人的な話に戻ってしまうけれど、今、こういう情報の波、そして、「意図の波」の中で気疲れしたとき、同期に随分助けられています。ある意味逃避にもなるけれど、少しでも気の合う仲間と一緒に時間を過ごすことで、ある種不安なところや、ストレスが解消できている気がします。こういうのは、凄く有難い。明日は休みなのだけれど、同期と一緒にご飯食べに行くつもり。1人で部屋にいても気が滅入ってしまうし、少しでも情報を得ようとして、また情報の波の中に身を投じることになって、結果的に気疲れするのが目に見えているのだから。原発だって気にならないこともないけれど、まだそういう段階に達していないのだから、必要以上に恐れることはない。情報収集だけは適切にしておく必要はあると思いますが。こうしたところのコントロールもうまくしながら、今のこの急性期を自分なりに捉えて、乗り切っていこうと思っています。こういうとき、周りに助け合える人がいるって、凄く大切なことなんですね。

ちょっと取り留めのないことを書いてしまったけれど、最近思うことはこんなところが多い。皆さんも、1人ではないはずです。人それぞれ、様々にストレスのたまる状況下にあり、色々と苦労もあって大変かと思いますが、どうか体調に気を付けて、この急性期を乗り切ってください。