上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

対人関係(続)

うーん、違和感があるってことはやっぱり何かがおかしいんだろうな、と思う。

今の職場の人間関係にせよ、新しくこちらで増やしつつある会社外の人間関係のネットワークにせよ。どっかで、「俺のやり方はホントにこれでいいんだろうか」っていう思いが抜けないのである。ミスってないかな、まだもうちょっと、マシなやりようがあるんじゃないかな、って。ということは、ちょっと前に書いた

新しい関係を構築するに当たってはどうしても「しっくりくる」ところまで落ちてくるには時間がかかる。それはまぁ、仕方ないことである。最初っからしっくりくるなんてことはなくって、最初はお互い探りながら相手の感じを掴む時期が必要だと思う。しっくり来ていないうちにはまだどっかぎくしゃくしているところがあると思う。自分がそう感じているということは、相手もそう感じている、ということでしょう。前の職場にいたときも、そういうのはあって、ダメな部分はダメと割り切るようにはしていたけれど、結局自分の中で落ち着くところまで落ち着かせられる関係に至らなかったのがいくつかあった。

でも、気がかりなのが、どうも最近、その割合が増えてる気がして。もちろん新しい人間関係が一気に広がりつつあって、その1つ1つにまだ十分時間を割けていない、っていうのもあるのだと思うけれど、その他にも、接する人間の幅も一気に広がっている、っていうのもあるのかな、と思った。

確かに昔は狭いコミュニティの中にしか属していなかったし、その中での密度の高いコミュニケーションをしていたから、割ときめ細やかな関係が築けていた、というのはあると思う。大学4年間で知り合った人なんてそこまで多くはない。サークル関連でも4年間含めたってせいぜい100人弱くらいなもんだし(あるいはもっと少ないかもしれない)、学科も小さかったからそこまで多くはならなかった。ところが、会社に入ってみると、2年にも満たない今現在で既に同期だけでケータイに入っているアドレスは90件近くに達し、先輩も50件ほど。職場の先輩で個人的にアドレスを交換した人の数なんて微々たるもので、当然アドレスを知らない職場の人なんてこの何倍もいるわけだから、この2年間でコミュニケーションを取ってきた人の数は膨大な量にのぼる。

さらには、大学時代は割と均質なコミュニティの中にいたけれど(育ち方もそこまで幅はなかったし、興味関心といったところも似たような選択のもとに集まっていた集団である。大学の学科とかサークル、というのは。)、会社はいるとホントそれこそいろんな人がいるっていうのもある。年代だって様々だ。育ち方が変われば考え方も変わる。世代が変われば考え方も変わる。そりゃ、話がかみ合わなくても当然である。

そんな中で、これまでと同じようなコミュニケーションを取ろうとするのは確かに無理ってものかもしれない。違和感だって、ある意味感じて当然の違和感なんだと思う。

けど、そうした背景も含めてのトータルで見た感じ、「まだやれるでしょう」っていう思いが抜けないのよ。自分の限界、そういう越えられない壁として「これは仕方がないでしょ」っていう部分を差っ引いた上でも、自分にはまだ改善の余地があるんじゃないか、って思ってしまうのだよなぁ。なんか思い通りになってないぞ、っていうところ。理想が100としてあったとして、まぁ環境的にどうにでもならない部分を差っ引いて80ぐらいだったとして、今が60くらい。俺もうちょっとうまいことやれば80に近づくのに、っていうところ。

これでもいいや、って思ってもいいけど、自己満足した時点で歩みはとまる。これでいいや、って思ってると、いつしか自分が取り残されていることに気が付かずにいて、気付いた時には時既に遅し、という状態にもなり得る。「ゆで蛙」の喩がまさにそうだけれど、常に「これでいいのかな」って思い続けているくらいがちょうどいいのかもしれない。ただ、落ち着かないもんだから、精神的には良くない(笑)。たまには誰かに(って言っても誰でもいいわけじゃないけど笑)客観的に認めてほしいけれど、そればっか欲しがってるのもまたそれはそれで居心地悪いんだと思う。その辺のバランスが難しいところなのですね(笑)。