上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

実家にて2

昨日の夜の日記、今になって読み返してみると、全般的に暗めに見えるね(笑)。

でも、思い返してみれば、小さいときから、すげー幸せになった気分の夜って、すごく不安になっていたんですよね。クリスマスパーティーをした日の夜とか、正月みんなで集まった日の夜とか。ハレの日の夜には、布団に入った後、すごく不安な気持ちになっていた。明日になれば、すべて消えているんじゃないか、って思って。昨日の日記の裏にあったのは、多分、それと同じことなのだと思う。

幸せっていつまでも続くものではない。良いことがあれば、悪いことだってある。良いことがあったときには、それがずっとずっと続けばいい、って思うけれど、そんなことは有り得ない。それがなだらかに続いていればある程度は耐えられるのだろうけれど、幸せの絶頂にあるときって、高みにいる分、落ちるときの落差がその分大きくなる。その可能性を恐れてしまって、怖くなってしまう、のかもしれない。今は幸せの中にいるけれど、明日も同じ幸せがあるとは限らない、って。昨日久々に両親と兄の一家と全員が集まってパーティーしてさ、まぁ全般的に見ればそういう幸せの高みにいる状態の中で、そういう不安みたいな部分が無意識のうちに大きくなってたんだと思います。

で、そこに意識として絡んでくるのが、そういう「幸せ」的なものをプロデュースする側の立場に回りたい、という気持ち。こういう気分になるのって、自分の場合は、親戚とか人がたくさん集まって、楽しい時間をすごしたときなの。やっぱり幸せを感じるのって、たくさんの人と触れ合って安心して楽しい時間を過ごせるときだと思うのですよね。それが一番大切だと思う。自分の理想として、家庭っていうのはやっぱりそうあるべき場所であるべきだと強く思っていて、将来的にはその立場に回るべきだ、という思いが心の奥底のどっかにあると思うんです(普段はあんま見えてこないんだけど笑)。昔の日記だと、ちょっと古いけどこのへん。最近やっぱりいい歳にもなってきたし、そういうところの意識が強くなってきているんです。おそらく。で、その素質というか、能力というか、があるかを常に自分の中に問い返しているのだけれど、まだまだ足りない、というか、欠けているものがあると思うんですよね。経験則的に見ても。そして、実家に帰ったときに、その欠けている部分が強く認識されるんだ。それが昨日の日記につながったのだと思います。

日々の生活の中ではどうしても自分1人で閉じてしまっている部分もあるし、そういうところまでなかなか気が回らない部分ではあるんだけど、こうしてちょっとした非日常な時間を過ごしたときに、ああ、そういう思いはやっぱり大切にしなきゃいけないんだなぁ、って思うのです。寮で1人で好き勝手に過ごしてると気がつかない部分なんだけどさ、日常を抜けだしてこうした非日常に変わると、思いだすんですよね。

そんなことを今年1年の振り返り、というよりはむしろ来年に向けての抱負みたいなところにしつつ、これから今日の午後の新幹線で寮に帰って、年越しは寮で過ごします。正月からまた仕事、束の間の非日常からまた日常に戻るけれど、この気持ちは忘れないほうがいい。こうして日常側に振れ過ぎた自分を非日常側に戻してやる時間って大切ですね。