上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

脱皮

この1か月、何か欠落を埋めるように、物を買い漁った。

おそらく、社会人になってから1年半が経過し、2つの条件が噛みあったのだと思う。貯金がある一定以上の額を超え、自分が自由に使えるお金がある程度自分にあることを認識した。社会人的なものとは何であるか、どういうライフスタイルになっていくのか、ということを一通り把握し、理解し始めた。

この1年は、貯金を前提として考えながら生きてきた。何かあった時の蓄えとして、ある一定以上の額の貯金がないと不安である。精神的な保障となる貯金。1年目は、常に、月の収支が赤字にならないように考えながら動いてきた。常に通帳に記される額が増加するように。とりあえず、今あるもので間に合わせ、本当に必要だと感じたもの以外はあまり買わなかった。とりあえず今自分が持っているもので満足し、それ以上のものを求めてこなかった。「世の中にあるおおよそのものは、無くても事足りるものである。」無意識のうちに、自分にそう言い聞かせながら、今あるもので満足しようとするようにしてきたのかもしれない。そうすることが当たり前だと思い、それは大して間違っているようにも感じなかった。去年の総括では、「金銭感覚は去年と全く変わっていない。服飾費と本代は去年に引き続き、全くと言っていいほど使っていない」と書いていたけれど、おそらく、必要以上の制限を自らに課している状態だったのかもしれない。その結果、貯金が目標値を超え、とりあえず必要最低限と自分が設定した額には達することが出来た。

ある意味、私は、自分自身の周りを高い壁で覆い尽くし、限られた狭い視界の中で生きるようにしてきたのかもしれない。自分自身の手によって。

そして、まずは、目の前の仕事に慣れるので手一杯だったのだ。1年目には、これらの色々なことに気を配る余裕もなかった。まずは、自分の周りの世界が急激に変化したことに対して、世界を把握し、自分なりの応対基準を作るのに手いっぱいだった。今になって振り返ってみると、そうだったのだと思う。それなりに余裕はあり、それなりに遊んだように思うけれど、今になって振り返ってみると、やはり必死だったのだ。

それが、2年目になり、徐々に余裕が出来てきた。そして、1年半を過ごす中で、仕事に慣れ、社会人的なライフスタイルについて大まかな自分なりの把握が出来た。おおよそ、どんな生き方をしていけばよいかについて、自分なりの応対基準が築かれてきた。ある程度、どのような身なりをしていること、どのようなものを持っていることがステータスとされ、それぞれの人がどのような生活を送っていて、自分は今その中でどのあたりに位置しているのか、おおよそのマッピング、分類が頭の中に蓄積されてきた。社会人として生きるとはどういうことか。全くの未知だった状態から、少しずつだけれど、その姿が朧げながらに見えてきた。その中で、今の自分を社会の中で相対的に、客観的に見えることが出来るようになってきた。

これらの状況が満たされ、いざ自分を改めて眺めてみた瞬間、堰を切ったように、欠落が目についた。一社会人として必要なもの。礼服、革靴、ビジネスバッグ。社会的な生活を送るために必要なもの。それなりの服装、それなりの知識。文化的生活を送る人間として大切なもの。快適な部屋、趣味、趣向。それら全てについて、今の自分に対し、あらゆる面で不足を覚えた。ありあわせでもそれなりに生きてはいける。しかし、それだけではそれ以上のものは得られない。全くもって魅力に欠けている自分に気が付いた。気付かぬうちに、自分の生活からいろいろなものをそぎ落とし、無意識のうちに欲望を押さえつけ、本来自分がなりたかったものから遠ざかっていた。理想としてある自分、本来ありたい自分、こうあるべきだと思っている自分からは、掛け離れていた。「まぁこれでも仕方がないか」を繰り返しながら、色々なものを言い訳にして、見て見ぬふりを続けていた。

欠落を埋めるべく、それらの欲望に忠実になることにした。ある程度の予算を組み、人間として欠落しているものを埋めるように、様々なものを買い求めていった。もう、そろそろ見て見ぬふりも限界に近づいていた。

部屋の整備。快適な住空間を作り上げることによって、自分の部屋に帰ってくると落ち着きが増した。これは、今まで考えてもいなかった効果だった。蛍光灯の交換から始まり、ただ住むだけの部屋から、少しずつ自分の色がついている部屋へと変えていった。社会人として、最低限のものを購入した。礼服。いつ何時何があるかわからない。社会人になった以上、最低限のたしなみは必要である。貯金の管理の仕方、保険の仕組みについても、一通り知識を習得する試みを行った。そして、革靴、ビジネスバッグといった、普段使いのものを買いなおしていった。就活の時から使っていたありあわせのくたびれたものから、ある程度自分の好みを反映しながら、今買うことの出来る範囲で購入していった。もう少し高いものは、またもっと稼いでから買いかえればいい。今は、今の身の丈に合った範囲での更新。それでも、それだけで、気分も少し変わった。私服も買い替えを進めた。大学時代、ひいては高校時代に着ていたものを、徐々に買い換えていった。全てを買い換えることはもちろん不可能である。けれども、少しずつ、一揃いずつでも、用意していけばいい。必要とされるシチュエーションを想定しながら、1つずつ、増やしていった。古いものを捨てていった。生活のあらゆる面で、更新を重ねた。今まで理想は理想として考えつつ、諦め、押さえつけてきたものを、次から次へと実行に移していった。

ある意味、蛇の脱皮のようなものだったのかもしれない。これまでの生活を覆っていた窮屈な古い皮を脱ぎ去る時期に来ていた。今まではつぎはぎのように付け足しを重ねながら様子を見ながら来たけれど、1年半が経過し、もうそれでは限界が来ていた。その現実を受け入れた瞬間、脱皮を始めた。おそらく、また何年か経った後には、また新しい脱皮の時期が訪れることだろう。今後の人生において、まだまだ生活には大きな変化をもたらすイベントが残されている。ステージを替えるごとに、そこに適応するためには身の丈を変えていかねばならない。生活の変化によって、身の回りに窮屈さ、欠落を感じる時期が来るかもしれない。おそらく、これから先のステージでは今以上に脱皮に割くことが出来る時間は少なくなることと思う。ただ、その分経験と慣れは増えている。そうして、脱皮を繰り返しながら、成長を続けていく。

そして、これからまた、そのために少しずつ貯金をしていかねばならない。今の時期に必要な最低限の貯金と、また何年か経った後に必要な最低限の貯金の額は同じではない。貯金の額にも、ステージごとに相応しい額がある。そこに対して敏感にアンテナを張りながら、来たるべきその時のために、また少しずつ、貯金を重ねていく。おそらく、その繰り返しなんだろう。

先日、実家から寮室にギターを運び込み、今回の一通りの脱皮が終わった、と思った。これから2度目の冬を迎える。けれど、1年目の冬と今年の冬が異なるように、同じ冬は二度と来ない。目の前の一瞬一瞬を、大切にしていきたい。