上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

年度末

本日、年度末。

あっという間に過ぎた1年だった。そこで自分は何をしてきたのだろうか。

仕事面

3ヶ月に渡る各所での研修を経た後、本配属先と冬季助勤先、2つの職場で実際に仕事をする中で、多岐に渡る様々な経験をしてきた。

この1年を捉えるとき、私のしてきた経験は、垂直方向の蓄積ではなく、水平方向のそれなのだと思う。専門化の方向に向かうそれではなく、どちらかというと、人間の幅を広げる方向に向かうものである。「広く、浅く」。この経験は、将来の仕事に直接的にはつながっていない。スキルの面で考えるならば、この1年で自分に何が出来るようになったか、と問われたときには、おそらく、「何も出来るようになってはいない」。今自分がしている仕事は、世間で使えるような一般性のある仕事ではないし、将来的には二度とやることのない仕事である(おそらく)。そんな仕事をして意味があるのか、と言われたときに、中には「意味がない」と考える人もいることだと思う。無駄が多いのも認めざるを得ない事実かもしれない。世の中の1年目が着実に基礎体力をつけている中で、自分らはおそらく将来の仕事に直結する「実になる」部分はほとんど何も身につけていないのである。もし仮に社会の中に放り出されたとしたとき、市場価値はゼロに等しい。特殊性のある経験ばかりを積んできている。それも、一見、将来に直接的につながらないような。

ただ、これは、会社の方針である。

焦りを感じるときもある。周りの話を聞いて、自分は何をしているのだろう、と思うこともある。おそらく、誰しもがぼんやりと抱いているところはあるのだと思うけれど。

けれども、それが必ずしも誤りであるわけではない、と私は思う。それが将来的にどう活きてくるかは今はまだわからないし、判断をつけるべき段階にはないけれど、回りまわってどこかで影響を与えてくる、のである。これが会社の方針だということは、そうなるべき歴史なり環境があるわけで、そうでなければ高い人件費を払ってまでこんなことはさせない。自分という一個人のレベルで捉えたときに、それがプラスに働くのか否かは一概には言えないけれど、それはそれで何かしらの価値はある。おぼろげながらにもそれは感じるところがあるし、そこに対して自分なりの捉え方もある。市場価値はなくても、会社の中では価値を帯びることもあるのだ。そこに重きを置くか否かは、人によって捉え方は異なるだろう。ま、騙してるだけなのかもしんないけど。

道は1つではない。どちらが優れている、という評価を与えるのはあくまで何かしらの視点に立った上で初めて出来ることである。今の自分を客観的に評価したときに確実に言えることは、ただ「数ある選択肢の中の1つの選択肢の上にいる」ということだけ。それが自分自身の将来にどう関係してくるかは、まだ判断できる立場にはない。不安になることさえあれど、まだそれが正しいのか否か、判断すべき立場にはいない。言えるのは、その道の上で、出来る限りのことをするしかない、ということ。

そんな1年だったと思う。特に後悔は、していない。

私生活面

これも上と同じような感じかなぁ…。

今年は色々なところに行ったり、色々なものを食べたり、きっとこれまでにないくらい色々なことをしてきたけれど、それが将来につながっているかと言えば、おそらく「何もつながっていない」のが現実だと思う。1年前と今の自分とで、そこまで変わったとは思えない。内面的にも、外面的にも。精神的に何か大きな変化があったかといえば、大して変わっていないように思えるし、ステータス的にも何も変化はないまま結局1年が経った。結局のところ、成長をどう定義するかにもよるけれど、私の中に巣食い時折顔を見せる極端にリアリストな視点から言わせるならば、1年前の自分と「なんら変化ないし成長した部分はない」のである。こちらのほうでも「市場価値はゼロに等しい」となっていないことを祈りたいけれど(笑)。

ただ、これが全く意味がないか、といえば、そんなことはないのだと思う。いずれどこかで血となり肉となり、目には見えない形で影響してくる。水平方向の地均し。そんな経験を重ねてきたのだと思う。そして、これはあくまで主観的な判断に過ぎない。客観的に見れば、こちらもまた何かしら変わっているところはあるのかもしれない。自分が気がついていないだけで。垂直方向の成長だけが、成長ではない。

こちらも、特に後悔はしていない。

そんな1年でした。

遠回りしているような気もするし、無駄も多いような気もする。喩えるならば、「箱庭の中でただひたすら歩き回っていただけ」というような1年を過ごしてきたのだと思う。良くも悪くも。そんな1年だったけれど、後悔はしていない。今の自分が選択した中で、制限された環境の中で、出来ることはしてきたのだろうと思う。箱庭の中を知ることも、必要なこと。いつか、これらの経験が花咲く日が来ると良いなと思う。たぶんそれは、目に見える形で表れるものではない。ふとした拍子に、無意識のうちに、土台となって私を支えてくれるところにいるものである。人によっては、後ろ向きに見えるかもしれないけれど、決して後ろを向いているわけではない、と思う。

きっと来年度も

同じようなことを、思うのでしょうね。そんな気がしている。

年々、物事の見方が凝り固まって狭まってきているのだろうか。そんな感覚がしているけれど。ブレイクスルーがもたらされれば良いのだけれど、得てして、箱庭の中にいる自分には見えないものなのだ。箱庭の外からもたらされるものもある。そんなところに期待をかけたいと思います。

およそ年度末らしくない総括(笑)。明日から新年度。自分の生活に全く変化は無いけれど、今日と明日で劇的な変化を迎える皆さん、最初は生活のリズムがつかめなくて大変だと思いますが、頑張ってください。応援しています。