上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

評価する時間

自身の経験を評価することは大切である。その評価の過程で出てきた気付きをその後に還元することが、その後の生活をより良いものにしていく。良い気付き、悪い気付きであるにせよ。

日ごろからそれをするように心掛けているのだけれど、最近、その評価を文字にする時間がない。

電車の中とかで色々評価をすることはするのだけれど、それを紙に書いたりとか、こうやってブログ上に文字にしたりとかする時間がなかなかなくって。「記録は大切」なんだけど、その「記録」が出来ていない。評価を文字にするということは、他人もしくは自分で理解しやすくするようにするために、頭の中でぐちゃぐちゃ考えていることを他人が読みやすいように翻訳して書く作業を経なければならない。最近はこれでも多少は読みやすいような文章を書くように心掛けているので(笑)。けれども、そうやって頭の中でぐちゃぐちゃ色々考えていたことを文章化するときには、どうしても時間がかかってしまう。さらに、書いてもいいこと書かないほうがいいことの判断とかを同時にしながらやるので、さらに時間がかかってしまう。結局、書こうとしていたことの半分も書けなかったりする。

多分キーワードとかで、気付きをちょっと書きとめておくのが良いのだろうけれども…。それはもう完全に自分用になってしまうけれど、仕方がない。

これまでは割と暇があったので、試合の日とか、何かしらイベントがあったときにはなるべく評価を書きとめるようにしていたけれど(それがここの場であれ、それ以外の場であれ)、これから先は結構そうもいかなくなるかもしれない、と最近の生活を見ていて思います。やっぱり、学生って圧倒的に暇なんですよ(笑)。まだ社会人を経験したわけではないけれど、最近毎日のように出払って遊んでいるけれど、社会人は毎日出払うのが普通なわけでしょ。しかも今はお遊びだけれど、それが仕事になるわけで。そりゃあ、忙しくなりますよ、きっと。そんなわけで、評価する時間も、これから先は結構削減することが予想されます。

というわけで、今後はブログを更新する頻度がだいぶ減るような気がします。ここ2週間くらいの生活を見ていると…。

また、それと似通った理由なのだけれど、生活記録の記録形式も変更することにしました。これは「評価」じゃなくて、単なる「記録」だけれど、その記録の時間もなかなか取れないというか、もっと別なことに時間を使うべきなんじゃないかと思って。今まで4年間以上に渡って、ノートを用いて、横罫に24時間の目盛りを取って、何時から何時までどんなことをしたっていう記録をつけていたけれど、それもやらないことにします。記録する時間がどれだけ取れるかわからないので。記録の形式をもう少し簡素化して、その日何があったかだけ、記録することにする。その代わり、今までは記録していなかった、誰と、とかそういう情報を記録したり、社会的に何があったかという出来事も重大事件ならば書きとめることにします。かかる手間を減らしつつ、不要な情報を削除して必要な情報を付け加えるマイナーチェンジを施す感じですね。

あと、これまでは銀行口座をほとんど使ってこなかったので、たんす預金だけ帳簿をつけていたけれど、多分クレジットの利用が増えてきたり、諸引き落としも増えてくると思うので、家計簿を郵貯銀行、東三、たんす預金の3つに分けて書くことにします。家計簿専用のノートを作ってもいいかもしれないね。これをやると、どの口座にいくら入っているかわかって、そこからいくら引き落として今家にはいくらある、っていうのが一目でわかるので、それが良いと思うんだ。最初が肝心なので、最初の2ヶ月くらいはそれで運用してみて、つける時間や手間が予想外にかかるようだったらまた再考したいと思います。これは手間が増えるけれど、実際の運用体系も複雑化しているのだから仕方がない。

評価を文字にする時間が減るということは

…こういう時間が減るって言うことですね。いちいち文字にするんじゃなくて、多分これからは自分で決めたら自分の頭の中で実行して1人でやってしまう。あんまり人に対して何かを書くということがなくなるんじゃないかなぁ。そんな風に思っています、今は。

まぁ、結局なんだかんだ言って書いてそうだけどね、きっと(笑)。