上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

若かりし頃

夕飯食い終わったと思ったら、親父が突然昔のビデオを持ち出してきて、突然鑑賞会が始まった。特に今日が何の日だというわけでもないのだけれど。こういうところ本当に思いつきで始めるんだから、まったく…(そしてそれは確実に俺に遺伝していると思う)。

20年前以上前の私の姿をとくと拝見させていただきました。うーむ、若い…。

まだハイハイも出来ない状態なのに、目の間が離れてる具合とか、まさに俺だなってわかったのがまた悔しい。顔の作り、変わってねえよ。兄も結局そのまんまの顔してるし、両親も祖母も同じような顔をしている。まぁ、当然っちゃ当然だけど(笑)。人の顔って、結局あんまり変わらないものなのね。特に、男は。

写真と違って、動画だからこそ残る面白さを再確認しました。ちょっとした面白い仕草だとかっていうのは、なかなか写真では出てこないものだ。ビデオの具合かなんだか知らないけれど、音声が出てこなかったのが非常に残念。

生まれたてあたりから幼稚園、小学校くらいまでダイジェストで見たけれど、結局2時間半くらい見てたのかな。

ビデオの欠点は撮るのと同じだけ見るのに時間がかかることとか、ビデオの撮影者はそれだけにかかりきりになってしまって周りが見えないこととか、間違って映してしまったところを消せない点とかだけれど、そういった欠点があるからといってビデオを忌避するのはもったいないなぁ、と考えを改めた次第です。これまではそういう欠点があるから、別に写真でいいや、と思っていたのだけれど。うーん、動画っていうのはそれはそれでやっぱり結構面白いものだなぁ。

高校時代とかは自分に関する限り、写真すら残してこなかったので、それも今更後悔しております。やっぱり、記憶だけに頼るのは危険だ。記憶は改ざんされるものだし、忘れてしまうことも多い。

将来は、俺も同じようなことをやるようになるのかなぁ、と、ふと思ってしまいました。やれやれ。

そして、そうやって自分の幼少期の姿を見た後、ふと我に返って今の自分を見てしまい、もう少し素直に、純粋になろうと深く反省した次第であります。色々と考えを巡らせるのも大事なことかもしれないけれど、そのせいで視界が曇らされることも多々あるのだ。もう少し、感情に率直に生きても良いのかもしれないのだけれど…。そのせいで損をしていたり、失っていたりする部分は絶対にある。それも、結構多くの部分。あぁ、いつからこんなになってしまったんだろう…。

しかし、3日で忘れるんだろうなー、きっと。