上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

総括的だけれど総括になってない文章

そろそろ今年も終わりかけてきました。

えー毎年恒例の精神的総括&来年の抱負タイムが近づいてまいりましたが。それを期に、ちょっぴり過去3年分、簡単に12月の日記を振り返ってみるだけでも面白いですね。2005年の不安定でギラギラしてた頃の総括。矛盾の内包がどうのこうの言ってますけど、我々はもともと矛盾があってしかるべき存在なのだ。それは仕方がない。それも受け入れられるようになった上で、落としどころがどこになるかを考えられるようになることが納得を生み出すのでしょうな。2006年のふわふわしてた頃の総括。現在進行形の成長っていうのは、得てして気がつかないものだ。あとから振り返ってこそ、色々と評価することが出来る。だから、その時その時は常に自分のベストを尽くすしかないのだよ。それが正しかろうが間違っていようが、そんなものは後で結果として出てくるのだから。それを次に活かすためには、そのときベストを尽くすしかない。2007年の色々なことを思い出さないようにしてた総括(笑)。時間ってやっぱり偉大ですわな(笑)。けれど、これがあったからきっと今年があるのだと思うよ。

2008年。まー色々ありましたが(あったようなないような)。まだ、多少の揺れはあるものの(やっぱり忙しくなった時期とかね。2つ3つタスクが重なってくると結構余裕なくなってくるのだ)、だいぶ不安定さは解消されてきました。というか、不安定さも含めてそれも想定の範囲内に出来るようになってきた。そういう意味では、不安定が安定の一要素になった、とも言える。それはきっと、ある程度事態の把握が出来るようになったからなのでしょう。「忙しいときにはこういう思考をする傾向が多くなる」とか、「こういう思考をしているときは周りにこういう影響を与える」とか、「こう考えるとこういう結果が出てくる」とか、ある程度自分の状態の判断が出来るようになってきて、諦めをつけたりだとか、こういうときにはこう振舞えばよい、とかっていうのがわかってきたのが大きいのだと思う。不安定状態の捉え方が、しかるべきところに収まってきた気がします。

まだまだ吸収しなければならないことはたくさんあるし、まだまだ改善しなければならない点はたくさんあるけれど、その軸となる自己把握、どういうときにどういう反応をする、っていうのがある程度わかっていると、それを踏まえた上で個々の事象に対応できる気がします。個別の具体的な事象の1個メタのレベルに存在する自己。メタ俺の成長。政治とか経済とかのメタんとこにいる文化、みたいな感じ。この認識ちょっと正しくないかもしれないけれど。そういうものが、この4年間の色々な経験、内省の積み重ねを経て、だんだん把握出来てきたのでしょうな。まだまだだけれど。

あとはまぁ、4年間でだんだん絞られてきた進路、っていうのもあるのかもしれませんね。無限大の可能性を秘めていた小学生時代に始まり(厳密には実際は色々な点で制限はされているけれどそれは置いておく)、理系文系の選択を経て、さらに学部の選択を経て、就職先の選択を経て。結局1つのところに収束したけれど(これも実際は色々な点で広がりはあるけれどそれは置いておく)、そういう先行きの不透明さみたいなのが、とりあえずは解消されたことも、結局は大きかったのかもしれない。結局最後まで選択のスタイルは変わらなかったけれど、それがきっと自分の選択スタイルだということなのだ。もはや、そういうものだと思って受け入れるしかない。諦める(笑)。積極的選択は出来ないかもしれないけれど、結局生み出す結果が妥当で、納得できるのならば、それはそういうものなのだ。

今年1年は、毎年そう思うかも知んないけれど、満足な1年でしたよ。反省すべき点はそれこそ山のようにあるけれど、それは後悔することはない。運も実力も含め、全ての事柄はそういう流れで出来ているものだし(なんか予定説みたいだけど)、無駄なことなんてないのだ。全てはしかるべくして起こっている。色々思うことがあれば、次に活かしてやれば良い。過ぎ去ったことはもう戻らないのだから、だったら今出来ることをしようと、と。あとで後悔するくらいなら今やってしまえ、というのも同義。そしてその大元にあるのは自分の納得だ。来年以降も、たくさん失敗を重ねて、経験を積んでいけたらと思います。相変わらず、過度に失敗を避ける傾向があるからな…。

なんかまとめっぽくないけれど、今年はこれ以上うまくまとめられる気がしません(笑)。個別の事象について色々と思うことはあるけれど、それは個別に反省、ということで。