上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

嗅覚

ある芸能人に対して、なんか言葉では表せないけれど、感覚的に違和感*1を感じていて、最近それが、ある身近にいた人に対して感じていた感覚と類似していることを発見し、あー、そういうことか、と思った。

なんていうか、自分の中にある架空の座標軸にマッピングする上*2での、落としどころが見つかったというか。あぁ、このへんと同じくくりになるのね、みたいな。多分、そうした類似性って、絶対あると思うんだよなー。なんか似たような雰囲気のある人、とか、そういうの。言葉じゃ表せないんだけど、絶対にあると思う。「合う合わない」みたいな感覚。正しい正しくないの判断ではなくって(どっちが正しいかは決めらんないと思うんだ…文化相対主義的だけど。)、自分の感覚と近い遠いみたいな感覚。何回かその言語化を試みているけれど、どうしても言語化できない部分がある。

やっぱね、感覚的に遠い人と近い人っていうのがいて。多分ね、似たような感覚の人をかぎ分ける能力みたいなのって、あると思うの。その感覚っていうのは絶対に外せないと思うんですよね。言葉では表せないんだけど、肌で感じる部分。そういうのって大事にしたいものだと思います。

色々と判断基準っていうのはあるけれど、結局最終的にどこで判断するかっていうと、この感覚的な部分なんじゃないのかなぁ。雰囲気とか。嗅覚、みたいな。個人との関係でもそうだし、団体との関係でもそう。多分、今のサークルを選んだ理由も、こういう嗅覚が働いた部分があったんだもの、きっと。総合的判断をする際に、その統合を果たすのが、多分この嗅覚の部分であり、マッピングにおける位置づけである気がする。色々な理論だって、結局、自分の感覚に照らし合わせて、どの辺の位置づけになるのか、どの辺と関連があるのか、どの辺に効果があるのか、というところを位置づけるのだと思うからね。

そういう意味で、この嗅覚は常に研ぎ澄ませておきたいものだし、それには自信を持ちたいものですね。うーん、個人的には、自分の嗅覚は、確実にマイノリティである自覚はあるのだけれど、マイノリティではあっても、これは間違ってはいないと思うんだけどなぁ。ここくらいは、信じておきたいし、信じるべきものだとは思う。変えられないところって、結局ここなんですよね。真っ当になりたいと思って、思考パターンとか、うわべとかは色々と真っ当な方向に変化しようと頑張っているけれど、この嗅覚だけは変化させていないのだ。ある種の価値観みたいな部分。そういう意味で、自分を自分たらしめているものは結局ここなのだ。

言葉に出来ないものを言葉にするって難しいですね。やっぱり無理だった。多分ね、言葉に出来ないから具体例で探っていくしかないと思うの。冒頭で述べた例みたいな。あ、この人、この人と感覚的に似ているなー、みたいなのとか、こういうときにこういう風に行動する人っていますよね、みたいな。そういうのの積み重ねで結局生きてるんじゃないのかなぁ。カテゴライズするのは不可能だ。それがきっと、質的な調査が得意とする部分だ、きっと。

それにしても、多分その観点でいったら、俺って相当マイノリティだよなぁ。このマップって、均等に配置されるものではなくって、やっぱり偏りがありますよね。きっと俺が自分を位置づけてる場所の周りって、人口密度低いんだと思うよ(笑)。古い時代にはその辺はもう少しいたのかもしれないけれど、最近は過疎化が進んでいるのかな、という印象もありますが、かといって自分にもいわゆる「現代っ子」的な風潮があると感じる部分も結構あるので、そういう意味でもまた違うのかな、とも思います。うわー、すげー微妙。あー、言葉に出来なくてもどかしい(笑)!!

昔したグレーゾーンの話で言うならば、その図形の形が近い人、といえばいいのだろうか…。近いような、違うような。。。

*1:「あっち側」の人間だなぁ、みたいな感じ、よくわかんないけど笑。

*2:座標軸、っていう比喩を使うと、さも数値的に表せそうな感じになるけれど、そういう感じではないんだよなぁ。あくまで相対的な位置関係のイメージというか…むしろ、地図みたいなもの??