上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

安定の裏側

思い出と可能性に浸りながら生きるのはそりゃ確かに居心地の良いものかも知れないけれど、果たしてそこからは自分の血となり肉となる何かはどれだけ掴めるのであろうか。確かに自己充足だけで生きていられれば、そこに平穏を乱す要素は見当たらないけれど、いつ何時、そこでの安住から放り出されるかはわからない。そのときに頼る術となるものは、結局そのとき身についている技能である。思い出と可能性に安住して安穏と暮らす中から、それらを身につけることはできるのであろうか。若干の疑問がさしはさまれる。もっと現実に飛び込んでいき、経験を重ねることが将来の自分につながるのではないか、という考えがきっとどこかにある。リスクを負ってまで挑戦する姿勢、積極性からもたらされるものは、きっとこれまでの自分の血となり肉となっているはずなのだけれど。

けれども、居心地の良さから一歩を踏み出す勇気が出てこない。それを、見て見ぬふりをして束の間の平穏を得ているのが、今の自分なのだろう。それが、保守的な人間たる所以なのかもしれない。守りに入っていては、手に入らないものもきっとある。それでも満足するか、そこから上を目指すか。答えを決めるのは、自分なのだけれど。