上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

優等生的な物足りなさ

結局は、何をするにしろ、何をしないにしろ、後で後悔しないよう、そのときその場で自分が納得できる判断をすれば良いのだろうか??

リスクは全て断ち切るべきなのか。けれども、リスクを恐れているだけでは、何物をも生み出すことは出来ない。無難なことばかりをしていれば、確かに間違いは起こらないかもしれないけれど、それだけでは生み出されないものもある。だいたい、リスクを考えていると、人間中途半端になる。何もしなくなる。一日家から出ないでぼんやりとしていれば、そりゃあリスクは避けられるでしょう。けれど、そうしていると、いつまで経っても先には進めないよ。メリハリをつける面でも。

確かに、何か起こってからでは遅い、のかもしれない。壊すのは一瞬だ。けれども、壊す以前に、作ることが出来なければ何の意味もない。生産的な活動をすべきなんじゃないのか。

…どうせ、終わってからあれこれ理由をつけては納得しようとするんでしょうけれど。過去は改変できる。記憶の中で。多分、そうしないとやっていけないからなんだろうけれど。でも、そうすると、納得の幅を広げてしまうとなんだって許されてしまうし、結果オーライだったら何でもいいのか、ってことにもなってしまうし。「あのとき何もしなかったから、結果的に悪いことは起こらず、その結果許容範囲のことが出来たからまぁよい」という考え方。それじゃいつまで経っても70点しか取れない。70点はたくさん取れるかもしれないけれど。

もちろん納得も重要なんだけれど、色々考えた上での納得でなければならないのだと思う。もっと納得のレベルを高めないといけないのかもしれない。もし良い結果が出たら納得できるレベルのことを今しているのかもしれないけれど、本当はもっと高価値の時間の過ごし方も、出来るんじゃあないのか。

これは、昼間書いた文章。でも、なんか釈然としなくて、テキストにはっつけて、ボツ原稿置き場に放り込んでおいた。

…で、そのあと、さっき読んだ山際淳司『タッチ、タッチ、ダウン』(角川文庫)の一節。

人生にはやるべきことは多い、でもやっておかないと後悔することはそういくつもない…

おそらく、別に後悔しないもの、っていうのは、あれこれ適当な理由をつけて納得できてしまう類のものなんでしょう。多分、そういう類の事柄って、実に身の回りには溢れている。けれども、私たちは、実際には大して重要ではないものを、なんだか重要なもののように考えてしまったりだとか、逆にそのせいで、本当ならばもっと大事にすべき大切なことに気がつかなかったりするんだよな。視野の狭さのせいで。多分大袈裟に考えすぎているだけで、本当に、重要なことなんてのは実は大してない。リスクリスク言ってるけれど、多分そんなものは大したことなくって、本当に後悔することなんてないのだ、と思う。物事の本質を見抜けるような視野を身につけたいものです。

まぁ、この言葉は、ボートのシングルスカルはその数少ない後悔することの1つだ、っていう風に続くんですけれど…。だからこそ、そういうものには全力で当たっておくべきだ、と…。果たして、私の中のそれは、なんにあたるのだろうか。それは手に入る範囲の中に、果たしてあるのだろうか。見えていないだけで、本当はあるのかもしれない。

うーん、ちょっといくつかの考え方が混ざっててうまく整理できていない。読みづらい。けど、まぁ、仕方ないか…。多分、何が言いたいかっていうと、結局「何が大事かその本質を見極めて判断しろ」ってことが言いたいんじゃないかと思います。きっと。