上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

プロアクト・リアクト

今日の朝日の夕刊の1面より。

03年11月にイラクで襲撃されて亡くなった外務省の奥参事官の言葉

「人間にはプロアクト型とリアクト型がいる。まず、自分で行動してみよう、責任は自分で取ればいいと考えるのが能動型のプロアクト。他人が動くのを見極めて、責任も分散しようとするのが受動型のリアクト。僕は、典型的なプロアクト人間です」

僕は、自分は典型的なリアクト型人間であるように認識している*1。色々な行動パターンを見て考えるところ、その傾向は強いと言えるし、おそらく周りの人間に聞いてもそのような答えが返ってくることだろう。けれども、これからの時代には、リアクト型よりもプロアクト型の人間が必要となってくる、と思っている。多くの企業が「求めている人材像」の根幹部分として掲げているのもこのような性質なのではないだろうか。リアクト型でもそこそこのところまではいけるのかもしれない。けれども、重要な局面を迎えたときに真価を発揮するのはプロアクト型の人間であり、リアクト型の人間はそこで後れを取る、と思っている。これから国際化が進み、さらに競争が増す社会においては、プロアクト型の人間であることが望まれる*2

けれども、リアクト型の人間だから受動的な行動しか出来ない、というわけではない。ある程度意識すれば、能動的な行動も取れるはずなのだ。さすがにこの歳になると、人間そう簡単に変わることは出来ないかもしれない。けれども、意識の持ちようで、そこはカバーできるものであると信じたい。そして、大事なのは、自分自身で、リアクト型ではダメでプロアクト型が求められていると思うのだったら、そうなるように意識を持つことだ。自分自身、ここのところは結構コンプレックスに感じているところはあるのだけれど(最近よく思う)、それを甘受したりとか、それに潰されて腐ったりするんじゃなくって、そう思うんだったら前向きに自分で改善していけばいいだけの話なのだ、ということ。甘えを言わずに*3

実際のところ、プロアクト型の人間が極まればそれはスタンドプレーになりかねないし、リアクト型の人間が極まれば硬直して何の革新も生み出せない。どちらも両極端は良くないのである。自分自身の欠点を自覚しつつ、うまくバランスを取れるようになりたいものである*4

*1:ちなみに、プロアクト型になるかリアクト型になるかを決定するのは環境的要因であるように思っているけれど。先天的なものではなく。

*2:外資系なんかを見ていると思うけれど、海外の、特にアメリカとかはプロアクト型が強い土壌であるように思われる。逆に、日本はリアクト型が強いだろう。官僚的体質、なんていう使い古された言葉はリアクト型体質を批判したものなのだと思うのだけれど。実際には、そのような面が批判的に見られているから目立つだけで、冒頭の言葉を言った奥参事官のように、プロアクト型の人間もたくさんいるのだと思う。

*3:甘えを言うのが僕の重大な欠点であると思う。最近、そう思うことが多い。

*4:結局、バランス。