上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

変化

変化とは、「変わったかも」って思えるようになっているときにはまだ変わりきっていないのであって、それすら感じなくなったときに、本当に変化が完了するのではないだろうか。

以前、変化には3つの段階があるという話を書いた。当時は技術の習得に対してそれを言ったのだけれど、意識の問題に関してもそれは言えるんじゃないかと思う。

ちょっとした変化に気をとられて浮かれずに、長い目で辛抱強く見て、続けることが大事なのだと思う。自分自身の変化に対して敏感になっていると、しばしばちょっとしたことで変化を認めたり、逆に後退したと思ってしまうのだけれど、移行過程にあるときにはそれは良くないのだと思う。ちょっとしたゆらぎによって一喜一憂していても、本質的な変化が起こっていない限りそれはあまり意味のないことである。変化を意識している状態では、まだそれは完成形には至っていない。あえて意識しなくても、無意識に、それが普通のことのように平然と出来てこそ、完成形に達した、すなわち変化が完了した、といえるのではないだろうか。

赤いボール

10個ボールが入っている箱から1つボールを取ること、を考えるとわかりやすいのではないだろうか*1。最初10個白いボールが入っている状態から、10個赤いボールが入っている状態に変えたいとする。白いボールが出たときは失敗したということ、赤いボールが出たときは成功したということ。しかし、いきなり全部が変わるわけにはいかない。10:0から鍛錬を重ねて7:3になり、さらに鍛錬を重ねることによって5:5を経て、3:7となり、最後には0:10になるようにする。いきなり0が10になるわけはなくって、変わろう、という意思を重ねて、徐々に、徐々に赤いボールの割合を増やしていくしかないのだ。

そのとき、4:6くらいの割合のときを想定して欲しい。それが、一番最初に述べた、「変わったかも」って思えるようになっている状態なのだと思う。若干赤が出る割合が増えてきたことが実感できていて、1個取る思考を繰り返したときに、3回連続で赤が出ることもあるかもしれない。そういうときには、「おぉ、赤になったかな」と思って浮かれてしまうかもしれない。しかし、それは、本質が見えていないということなのだと思う。それは確率的な問題で、逆に白が3回連続で出ることも十分有るのだ。逆に白が3回連続で出た場合にも、「あぁ、白に戻ってしまった」と思って落胆したところでそれも本質が見えていない。あくまでそれは移行過程なのであり、そこで一喜一憂したところでそれは本質ではなく、無駄なのだ。赤が出る確率も白が出る確率もある、不安定な状態である、と言える。そこで満足してしまえば4個の白は依然としてそこにあり続けるままであるし、何かの作用によって1つ後退したならば、5:5になってしまう。だからこそ、ここで満足したり、へこんだりせずに、そのまま、0:10になる日を目指して、努力と意識を続けるべきなのだと思う。

現実的には0:10というのは難しいかもしれない。諸要因も絡めると、1:9くらいが現実なのかもしれない。けれども、それでも、確率は90%にまで増す。10回に9回は赤が出るのだ。だから、そういう状況に達したところで、それは「安定した」と認めてやっても良いのかもしれない。さすがにそれくらいになれば、2:8くらいに後退することはあるかもしれないが、5:5までの後退はないだろうからね。厳密に0:10にならなければ、と思うと焦ってしまうけれど、割とファジーに、1:9くらいでもいいや、って思えているほうが、得てして精神的には楽になるものです。

当たり前かもしれないが

そういう感じで変化を捉えようとしてみると、変わってねーなーと焦ることも少なくなるんじゃないのかしら。でも、そもそもこういうことを考えてしまう辺り、結局自分が変われているか変われていないかに敏感だってことなんだと思う。そういう意味では、まだ変化は完了しきっていないのでしょうな(笑)。

*1:確率の問題でよく使われる例だから想像しやすいかもしれない