上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

幸せの反対側

幸せは、幸せであるからこそ、それを失うことを恐れる。喪失への恐怖。

それは、いつも考えているわけではない。しかし、時に、多幸感に包まれているときに、一瞬のうちにエアポケットに落ちたかのように、疑念がパッとうまれ、瞬く間に心を包んでいく。見た目は何事もなかったかのように平穏を装っているけれど、心の内がざわついている。自分が日頃見ていない部分にあるのかもしれない対極。ふと差し込むそれらの影。具体性がなく、実体が見えないだけに、恐怖は募る。得体の知れないものへの恐怖。想像は無限大に広がるのだ。「想像も出来ない事柄」は、想像することが出来ない。明日どうなるか、何が起こるかなんて、誰にもわからないのだ。

小学生くらいの頃、誕生日やクリスマスの日に、プレゼントをもらってケーキを食べた夜、寝る前に良くそんな恐怖に襲われたものだった。今日は素晴らしい1日だったけれど、明日朝起きたら何もかもなくなっていたらどうしようか、などと。幸せが大きいほど、何か逆方向に大きなことへの不安と恐怖が突然、生まれる。

今年も明日を残すのみ。今年の1年も、お陰さまで無事に終ろうとしている。本当に有難いことだ。何事もなく明日が過ぎ去ってくれることを願うけれど。今、姪っこが帰ったあと1人コタツでのんびりと本を読んでいたら、この恐怖が突然入り込んできた。もうだいぶ長いこと付き合っている恐怖。とても感覚的なものだと思うから、共感は得られないのだと思う*1。この幸せも、いつまで続くのだろうか。具体性はないし、恐れおののいていても仕方がないことだから、大抵は少しすればまた忘れて何事もなかったかのようにしているのだけれど。今年、いやずっと、僕が遅かれ早かれ死ぬまで、平穏が続いてくれることを願いたい。この実体を持たない恐怖が杞憂に終ることを。

*1:もう少しわかりやすく説明出来ると思うけど、ケータイだしめんどいからしません