上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

生産的活動

毎日基本的に寝る時間帯も0時から1時の間、起きる時間帯も9時前後と非常に規則的で健康的な生活を送っているはずなのだけれど。

生活の枠組みが整っているからといって、生活の質が必ずしも伴っていないのはあまりよろしくないのではないかと。なんというか、生産的な活動が最近営まれていないというか。授業に出るだとか、課題はこなすとか、説明会にいってみるとか、枠組みだけはきっちりとこなし、与えられている為すべきことだけをしているだけの生活をこなしている限りにおいては、確かに不足は生まれないのかもしれないけれど、それ以上のものも生まれない。不足しない生活を過ごす、ということと、納得して生活を過ごす、ということは別なのだ。多分。不足していない生活の中でも不満が生まれることはある。ただ、それに対して「不足はないのだから」という方向で考えると思考は行き止まりに突き当たるけれど、「足りているだけなのだ」という方向で考えることによって多分解が見つかる。生産的にならなければならない。どこまで欲張りなんだ、とも思うけれど、そういう新しいものを生み出していくところに人間という存在がある、というようなことを誰かがいっていたような気もする。いっていなかったような気もする。

結局人間ってそうやって付加価値を見出していかないといけないもんなのかな。まぁ、これって、足りている立場にあるからこそ言える多少傲慢なことなのだろうけれども…。