上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

脳内会話3

「こないだ東さんが書いてたんだけどさ、学歴、身長、お金、国籍などの外在条件を抜いた後、私には何が残るんだろう??っていう話。」

「あー、その話か。俺も見た見た。なんか、ちょっと思ったのはさ、身体的な特徴とか国籍とかは別として、ある程度外在条件も内在条件によって変えることは出来るよね。お金とか学歴とかってのは、結局内在条件も絡んでくるところだと思うし。」

「確かにー。でも、多分この話では、外在条件内での区別はせずに、内在条件によって得た外在条件も、内在条件が関係ない先天的な外在条件も全部ひっくるめて、全てを外在条件として、とりあえず抜いておく、ってことにして良いんじゃないかな。で、ここでの外在条件っていうのは、単純にステータスっていう感じで捉えちゃっていいんだと思うよ。ある程度の社会的地位とか、それを表すものとか。そして、その後に残る、それ以外のものっていうは、つまるところ性格の良し悪しとかそういうものっていうことだろうか??個人の能力とか、頭の良さとか要領の良さとかそういうのなのかな??んー、なんていうか…数値化できないっていうか、他のものによる意味づけが為されないっていうか…うまい説明方法は無いもんかな。」

「なんとなく言いたいことはわかるな。うん、多分そういうことなんだと思うー。とりあえず、まだ全然曖昧なんだけれど、イメージ的にはそういうことにして話を進めてみようか。」

「まぁ、では、そういうステータス的なものを抜いたとして、多分全ての人に、少なからずのものは残るのではないかな。外在条件しかない、っていう人はいないでしょう。良くも悪くも自分なりの生き方、考え方っていうのはそれなりにはあるのではないだろうか。」

「うん、それはそうだろうね。何も残らない、っていう人はいないと思うよ。何も残らない!!って言う人は、きっと、悪いものが残ったときには、それらを無視しちゃってるだけなんだろうな。多分。」

「ただ、多分、それが悪い、って言うのが、必ずしも定まらないからめんどくさいんだけどね。結局良いか悪いかなんて、他の人から見て良いものであるか悪いものであるか、でしかないじゃない。自分が正しいと思っていたもの、または間違っていると思っていたものが、必ずしもそうであるとは限らない。けれど、他人からみて良いか悪いかなんて、結局推測の域を出ない。だから結局、『何かは残るけれど、それに対する価値はわからない』っていう感じなのだろうか。何かは残る。それが結論なのか。」

「うーん、ちょっとニヒリスティックに捉えすぎかもだけれどねー。でも、なんとなくそれもわかるわー。」

「でも、その価値判断なんて、自分で言えるわけがないと思う。自分の長所なんて、言えないと思うんだよね…。長所かどうかは他人が決める。まぁ、逆に言うと、短所かどうかも他人が決めるのだけれど。他人がどう思うか、それを考えながら自分なりに決めていくしかないのではないだろうか。『人から見て長所だと"思われる"であろうことを、とりあえず自分の中でも、自分の長所ということにしておく』みたいな感じ。」

「うん、親切がお節介になるのと同様に、物事には2面が存在するんだと思う。だから、それが長所になるか短所になるかなんて、結局他の人がどう思うかなんでしょう。だから、人の顔色を伺いながら、『この辺までなら長所になる得るのかなー、これ以上やるとやりすぎになるよね、きっと』というところを探りながら人格を形成していく。もちろん、その逆もあるけれど。それがおそらく、私たちの生き方なのではないでしょうか。一応推測の域を出ないけれど、それでも実際の体験とか、失敗例とかを取り込みながら、自分なりに一応の善悪をつけながら形を作っていくんでしょう。外在条件を取り払った上で見えてくるものっていうのは、結局こういう曖昧なところなのだと思うよ。」

「ということは、今回の暫定的な結論としては、『何かは残るけれど、それの価値は他人が決める』ということで良いのかな??」

「我々の回答としてはそんなところだろうね…。ちょっと視点が遠くに行き過ぎている気もするけれど。途中定義とかすっ飛ばしたところもあるから、多分議論としてはまだまだツッコミどころがあると思うんだけど。まぁあくまで会話だしね、厳密な議論じゃないしね(笑)。」

「そーね(笑)。」