上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

脱初心者

昨日をもって、車の初心者マークが外れました。

と言っても、何か技能認定を受ければ外してくれるわけでもなく、自分の努力はそこには関係ない。ただ、1年という年月が流れれば、誰でも無条件に外れるというだけの話ですが。

1年の間にどれだけ慣れたかは関係ない。自分自身に関して言えば、確かに月に1度は最低乗るようにしましたし、首都高にももう、だいぶ慣れた。ある程度、最初に比べれば余裕のようなものも生まれているでしょう。けれども、それと初心者マークが外れることとは関係ない。毎日乗って半年経った人のほうが、断然車の扱い方に関しては余裕を持っているはずです。けれども、そういう人でも初心者マークはつけなければならない(法律でそう決まっている)。むしろ、初心者マークが外れたことによる効果は、自分自身の内面のことよりも、外における自分に対する見方が変わることが大きい。初心者なら許される些細なミスをしても、もう初心者扱いはしてくれません。遠慮なくパッシングされることでしょう。

そういう意味では、初心者マークが外れることは、成人することと同じなのかもしれない。手に持つ権利が増える増えないの違い*1はあるけれど、それまでに自分がいかに努力してきたか、ということはそこには関係ない。時間さえ経てば、誰でも手に入れることの出来る称号なのです。

なんとなく、そんなことを思いました。その先に関しても、「このことが与えてくれるのは自覚であり、周りに見合うようしっかりと努力し、自分を高めていかなければならない」みたいな教訓じみたことなどを色々派生して思ったけれど、まとまらないのでやめておきます。あとで見返して阿呆臭く思うだろうし。

ついでにいうと、僕は様々な物事というのは、慣れはじめが一番危険だと思っている。慣れてきた頃には自信過剰になりやすく、つい行動が粗暴になりミスを引き起こす可能性が高まる。自分の実力より自分の意識のほうが先走りしやすくなるんでしょう。だから、慣れてきた頃が一番気をつけなければならないと思っている。割と、色々なところで。車の運転は人間生活を送ることと多くの共通点を持っていると思うのだけれど、ここにも、それをいうことが出来るのではないだろうか。

安全運転。右よし、左よし。

*1:飲酒、喫煙等