上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

目的と結果

ちょっと前に読んだ本に書いてあったのは、結果としての快楽が、目的としての快楽に転倒してはならない、ということである。

幸福になることを目的にして何かをしようとするならば、それは何かにかかずらうことになり、結果としてその行為自体は楽しいものではなくなってしまう可能性がある。あくまで、幸福は結果として現れるものなのであって、それ自体を目的とするようなものではないのだ。幸福になろうなろう、と思って頑張ったところで、いつまでもその幸福は手に入るものではない。目的として幸福を求めるのではなく、結果として現れるものが幸福なのだ。

少し話は違うかもしれないけれど、このような考え方になれば、割と自分が陥りやすい、価値観の否定にも対処できるのではないかという期待が生まれる。自分の中で価値観が否定されるのは、何かをしようとするとき、しているときに、そのことに本当に価値があるのかを考えてしまうときである。それを考え出すと、全ての物事に価値が無いように感じられてしまい、負のスパイラルに落ち込むことになる。

しかし、幸福が結果として得られるものであるならば、価値がそこにあるかないか、事前にそんなことを考える意味は無いのだ。やってみて、やったあとで、判断はそこに下される。あくまで過去の経験の総体として、割と価値がありそう、とか、あまり価値はなさそう、とかいうのはあるけれど、「本当にそれに価値があるのか」がわからない状態は、少なくともそこでは許容される。価値判断をする時間を、動作の前から後にずらすことによって、この不明瞭さは許容されることになるのだ。

このような考え方をうまく適用できれば、多少はものの考え方を変えられるのかもしれない。