上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

2日目。

海は広かった。

素晴らしい海水浴場が広がっていた。しかし、地震の直接的な被害と、風評被害と両方絡んでいるのだろうけれど、あまりに人が少なかった。ほとんど、プライベートビーチ状態。夏休みだというのに。まばらな人影や、2人組の上に咲くパラソルの後ろでは、広域放送のスピーカーから、自衛隊による風呂の供給の情報が流されている。「3日4日は台風のため、行われないことがあります」と言っている。地震の爪痕は、生々しく残っている。行く途中の道では、何箇所も片側交互通行にして、補修工事をしている。亀裂が走り、浮き上がったマンホールが目に付く。灯台に行こうと思ったら、海沿いの道が崖崩れのために通行止めになっていた。踏み切りは通らない電車を待ち、遮断機を空に向け上げ続けている。「災害復旧支援」の幕を前につけた水道局の車が行きかう。家々の瓦には、ビニールシートがかぶせられている。

街中に、人影がとにかくまばらだ。炎天下の中、少ない車を懸命に引き込もうとしているお兄さんや、車道を地道に災害工事をしているおじさんたちの横を通りながら、また、色々なことを考えた。

海までの往復は、山越えだった。山越えは辛かった。さすがに帽子も被らずに、炎天下の中をこぎ続けたのだから当然だと思う*1。脱水症状になりかけて、花火行きが危ぶまれたのだけれど、一時間寝て、何とか体調を持ち直して、花火に行くことが出来た。

長岡の花火は、噂どおり壮絶だった。圧倒された。

とにかく、でかい。そして、音と光に圧倒される。横幅をうまく使った花火が良かった。僕は米百表尺玉100発も好きだったのだけれど、もちろん、6箇所から同時に打ち上げられる復興祈願花火「フェニックス」も凄かった。花火は実物を見ないと意味のないものの1つだと思うのだけれど、長岡の花火も例外なく、この迫力は、なかなか味わえないものなのだと思う。結果的に、大満足の花火大会だった。やっぱり花火の迫力は、言葉には出来ない。

ついでに言うと、とても日焼けした。明日は右岸から、花火を見ようと思う*2

*1:ちなみに、今日の長岡の気温は35度を超えたらしい

*2:今日は左岸