上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

自己肯定

上でちょっと書いちゃったから簡単に書いておくけど、人間って結局どこまで行っても最後には自己肯定せざるを得ないんじゃないのか、っていうのが、結構前から思っていることなのです。

自己嫌悪とかする人って結構多いけれど(自己嫌悪は人を成長させる、とか言うけれどホントかしら)、いくら自分をけなしたところで、結局何処かにはそういう自分を慈しむ自分がいるのではないかと思ってしまうのです。自己嫌悪している自分をメタの視点から肯定しようとしている自分。だって本当に完膚なきまでに否定してしまったら、存在価値がなくなってしまうじゃないですか。自己の破滅。どれだけ後悔したって、どれだけ反省したって、そのような罪を犯した自分を何処かで肯定している自分がいるような気がして、それに腹が立つのです。どんだけ頑張ったって、結局自分に対しては甘くなるしかないんじゃないかと…。結局、何か失敗を犯して猛烈に自己嫌悪に陥ったとして、「うん、自己嫌悪したね、偉い偉い、よしよし」って言って、それで終わったことにして免罪符を与えてしまう行為に他ならないのではないかと。吐き気のする甘さ。逆にそういうのって結局は自己満足に過ぎないのではないでしょうか!?偽善。独善。その辺ともつながってくる話ではないかと。

一方で、自己肯定を本当に完膚なきまでに排除してしまったその結果が、世の中の多くの自殺につながっているのかもしれないけれど…。だから、自己肯定をするなとは言わないほうが良いのかもしれない。得てしてそういうのって、うつ病だとかそういう精神的な病(うつ病はれっきとした病気です。)に起因するものが多いと思うのだけれどね…。なかなか重い話にもつながってしまうのだけれど…。自己肯定と根拠のない自信は紙一重な気もするのだけれどねぇ…。