上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

指摘

客観的に物事を見ることはとても難しい。どうしてもそこには主観が入り混じってしまう。

そして、それは自分に対することであれば尚更のことである。自分というのは自分と四六時中一緒にいるわけだし、それまでの形成過程も見ているわけだから、どうしても自分に対しては固定観念を抱きがちである。自分を一番知っているのはもちろん自分だけれど、逆に知りすぎているからこそ、固定的な視点でしか自分を見られなくなってしまう恐れがある。頑固な人って言うのはその傾向が特に顕著なのかもしれないけれど(自分もおそらくその1人だと思われる)。

得てして、人から受けた指摘に対しては自分の固定観念によって「いや、それは違うよ、俺はこう思うし」っていう風に思いがちである。それが特に自分自身の欠点に対して向けられている場合には。人間というのはおそらく自己肯定をしないと生きていけない人間なのだろうから(これについては今度機会があったら書いてみたい)。けれども、逆にそういう風に指摘を受けたときこそ、自分の考えとは違うとわかっていながらも受け入れる必要があるのかもしれない。それが、「客観的な意見」そのものなのだから。自分自身の中から客観的な意見を生み出すことは相当に難しい(というか、可能なのだろうか??)。だから、人から指摘をもらうということは、おそらくチャンスなのだ。

欠点は欠点であると認識できなければ直しようがない。もちろん、認識できたからといって簡単に克服できる欠点ばかりでないのは事実だけれど。そんなんばっかりだったら今頃自分はとっくのとうに完璧な人間になっているはずだ(笑)。受けた指摘に関しては真摯に受け止め、それについて一度自分で考えてみる必要があるのだと思う(主観的な判断でよい)。その上で、そういう客観的な意見があるけれども今回はそれにはそぐわない、などの判断を下せばよいのだろう。指摘をされるというのは辛いことである。けれども、それを撥ね付けていてはいつまでも進歩は得られない。まずは自分の中に取り込んで、その上でうまく消化を図れるようになりたい。難しいけれど。