上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

非生産的

非生産的な1日のすごし方というのは、こなした作業量ではなく、無駄に過ごした時間の印象に起因するような気がする。

無駄に過ごした時間があると、その負の印象がとても大きく作用する。無駄に時間を過ごしている自覚というのは自分にもあって、そのような時間が2時間くらいあると(起きている時間の17分の2くらいを占めることになる)とても無駄な1日を過ごした印象になってしまう。例えばテレビを見ているという作業は生産的ではないのだけれど、やらなければならないことがあるけれどもそれを放置しながら見ている、という状況だと、その時間がとても非生産的なものに思えてしまう。安心してテレビを見ていられない。かといって、別にテレビを見たからといって作業が終わらなくなるわけではないので、そのままテレビを見続けてしまう。割り切って楽しむことができない。切り替えが下手。その結果、こなした作業量的には満足いくものなのかもしれないけれど、1日を過ごした印象としてはとても無駄な時間を過ごした印象が強くなる。別にテレビを見るくらい構わないのに。作業自体が終わるのならば。けれども、もっとその時間を別のことに有効に使えたのではないだろうか、という後悔が頭から離れない。そして、1日の印象が悪いものとなる。

受験時代からおそらくそうなのだけれど…。マイナスの印象を強く引き摺る傾向があるのかもしれない。1セットのゲームの中でいくつもいいプレーがあったとしても、わずかな悪いプレーが頭から離れないように。

…けれども、今日という1日を振り返ってみると、やはり非生産的な1日だったと振り返らざるを得ないのだろうな…。あぁ。実際非生産的で、もっと出来るであろうことはたくさんあったのだろうけれども…。こんな日を一体何日過ごしてきたのであろうか。性格のせいなのかなぁ…。