上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

「やらなければならないこと」

ここ1週間ほど日記が短い。おそらく心境などの変化というものも多々関連しているのだろうけれども*1、おそらく自分の人生で一番やることが多い春休みであるということも関連しているのかもしれない。けれども、おそらくそのような連関というのは様々な要因が複雑に絡み合っているのであって、一様に片付けることなどは出来ないのだろうと思っている。世の中にあふれている因果関係というものはあまりに複雑すぎるんだろう。風が吹けば桶屋が儲かるどころの騒ぎではなかろう*2。少なくとも、今こうしてここに書いているこの瞬間はそのように考えているのだけれど。パソコンを開く時間が減少しているのも事実だけれど、あまり物事を考えたくない気分がしばらく持続しているのも事実。

最近「やること」と「やらなければならないこと」の使い分けが問題だ。強制されると途端にやる気を無くす人間というのはいる*3。その要因がなんであるかは知らないけれど(これも一様に片付けられない問題なんだろう)、僕自身、そのような傾向は多少なりとも理解できる。そしてここで問題となるのが、自分の中で自分自身に対してそれを行っている可能性がある、という点。一番最初に述べた2つのカギカッコがそれを表現する。「やること」であると考えればよいことなのに、自分の中でその物事を「やらなければならないこと」と書き換えた途端に、物事は重さを増して肩にのしかかる。気分が重くなる。腰が途端に重くなる。これも意識の問題なのだと思うのだけれど。自らの悪癖として、そのように物事を捉えてしまう傾向があるのだと思う。受身な人間であるというところにもつながっているのかもしれないけれど。自分から物事をつまらない方向へと仕向けて何の得がある??そこには何のプラスも生まれない。引き起こされるのはマイナスだけ。わかっていながら、なかなか改めることが出来ない。

相変わらず「やらなければならないこと」は多い。「やるべきこと」も多い。いかにして、それを「やること」に頭の中で書き換えていくことが出来るのか。それが今後の課題なのかもしれない。

改善すべき課題が多すぎる。到底、満足は出来ない。

*1:ちなみに、心境というのは3ヶ月単位で変化するらしい。3ヶ月危機説はそれが所以であるという説もあるようだ。

*2:あれは単線的な連関である。けれども実際には関係は多岐に渡り、絡み合っているだけに複雑である。

*3:一説によると松坂もそのような人間らしい。