上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

体力

文章を読む体力がない。

分科の忘年会のときに教授からも言われたのだけれど。やっぱり過去に(特に高校時代)本を読んでこなかったツケが今に回ってきている。特に漢語がニガテだ。特に和訳された文章を読むときには漢語が多用される。「〜的」っていう表現をはじめとして。英語は名詞と形容詞を中心とし、日本語は動詞と副詞を中心としている言語だからっていうのも*1割と関係しているかもしれないけれど、とにかく和訳されたものは読みにくい。海外の小説の翻訳本があまり好きになれない理由も多分そこにあるのかもしれない。雰囲気の違いをそこに感じてしまう。それだけの読む体力を身につけられていないということなのだろう。論理的な読解も苦手だ。頭にすっと入っていかず、結局延々と文章と格闘することとなる。集中力を切らしながら。時に字面を追っているだけになってしまうこともある。新書とかを全く読まずに来ると多分こういうことになるんだろう。そもそも小説とかの、読みやすいさらっとした文章ばっか読んでいると、そのペースに頭が慣れてしまっていて引っ掛かったような印象を受けてしまう。疲れる。

けれども、論理的な読解が苦手っていうのは致命的な欠陥である。今後においても。まずは興味のある分野から少しずつ手をつけて、体力をつけていくしかないのだろう。忘年会のときの先生の言葉が身に染みて感じられる。まずは、勧められた磯崎新でも、まずは春休みに読んでみるのが良いのかもしれない。体力トレーニング。読みづらい文章を読むためには慣らすためにトレーニングも積むべきなのであろう。そうしないと、いつまで経っても時間がかかって仕方がなく効率が悪いだろうし、頭にも入ってこなくて理解も半減だろうし。それ相応のトレーニングを積むことは将来的にも必要なのではないかと思われる。先行投資。いや、遅すぎるけれど。

自分では書くときに漢語をしばしば使うのだけれどもね。だから読みづらい文章になるっていうのは多少自覚している*2。けれども、やっぱり自分が意味をそこに含めようとする際には使いやすいものだから、やっぱり使ってしまうのだよね…。そういう理由でそういう文章にもよく用いられるのだろうけれども。もちろんある程度そのことは理解していて、自己満足的に思いっきりがつがつ文章を書いてしまうこともあれば、わかりやすく噛み砕いて書こうと努力するときもある*3。「やわらかい感じのやまとことば」と、「直接的に表現する漢語」。ほら、これだけでちょっと違うでしょ(笑)。

でも結局気まぐれだから今に到るのです。詰めが甘い。

*1:そういう話を昔聞いたことがある

*2:意味の履き違えや自己流の定義もそこに紛れ込むからさらにわかりづらくもなるけれど

*3:それは気分による