上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

1日の過ごし方。

1年前、俺は何をしていたのだろうか。

2005年6月30日、木曜日。

0時をまわって英1の予習をしたあと、1時に就寝。教科書を読んで寝たってことだ。9時に起床して朝食後、登校して2限の西洋思想史の授業を受ける。ちなみに木曜1限は本来フランス語必修が入っていた。過去にサボったことは無いので、どうやらこの日は休講だったようだ。その分いつもより余計に寝ることが出来た。この日、昼食には500円を費やしている。食堂ではないだろう。多分、400円の生協の弁当と飲み物。4限までぶっ続けで授業を受ける。3限は英語1、4限は基礎演習。スケジュール帳によると、この日はグループ発表だったらしい。原稿を全員で書いたのをつなぎ合わせて、俺が発表したような気がする。4限終了後、帰宅。1週間のうちで4限で帰れるのは唯一水曜だけだった。家に帰ってからは新聞を読んだらしい。その日何があったかはさすがに覚えていない。その後、18時半よりサークル。アフターでご飯を食べて、22時過ぎに帰路へ。おそらくはサイゼリヤだろう。11時前に帰宅。風呂に入って、この頃の俺はパソコンはつけずにそのまま就寝したようだ。眠りの中24時に到る。

結局何の変哲もない1日だ。もっとも、変哲のある1日のほうが珍しいのかもしれないが。

2年前、俺は何をしていたのだろうか。

2004年6月30日、水曜日。

0時をまわって現代文の課題をしたあと、英熟語の問題集を暗記。日本史の教科書を読んで、1時半に就寝。この頃、就寝前に日本史の教科書を暗記するのは日課となっている。緑で塗った教科書と赤下敷きを持って寝床に入り、眠くなったら放り出して寝るのがスタイルだった。7時起床、朝食をとって登校。確か7時50分には学校に着いていたはずだ。水曜は1限が空いていたので、2限まで図書室で世界史の教科書を読む。こちらも緑で塗った教科書と赤下敷き。9時10分からは授業。この日は2限から世界史・日本史・英語1・現代文・現代文の日。2限は名前は忘れてしまったが特別棟の薄暗い選択教室の一番後ろの席、3限は3組の教室の右の端っこで受けていたはずだ。普段は2限3限、3限4限の間の休み時間で早弁をしていたが、この日は2時間連続移動のため、多分早弁は出来なかったはず。昼休みに食べながら友達とだべってるんだろう。もしくは教室に置いてあった漫画を読んでいたのかもしれない。14時半に学校が終わった後、そのまま教室で落ちていたマガジンを読む。あぁ、水曜だからな。15時から図書室に移動するものの、睡眠。結局そのまま勉強しないまま、16時には帰路へ。帰宅後新聞を読んだ後、17時からZ会の世界史100題問題選を解く。あぁ、そんなことやってた。身になったのかはわからないけれど。18時からは漢文ミニマム問題集をやったらしい。この日の俺は偉かったようだ。風呂に入った後漢文ミニマムの続き。その後机で少し寝たらしい。20時前から夕食をとった後、21時前から世界史の教科書を読む。その後塾の英語の予習を20分くらいやった後、21時から机で寝ていたらしい。1時間。22時に起きて続きをやった後、23時からはパソコンをつけて24時に到る。多分、チャットでもしているんだろう。

意外と勉強している。この日は結構調子が良かったみたいだ。

今日、俺は何をしたのだろうか。

2006年、6月30日、金曜日。

0時をまわってパソコンの前にいる。いきなり堕落しているじゃないか。適当にチャットしながらレポートを書いている。1時くらいに妥協して印刷し、1時半に就寝。9時に起床。8時半起床予定が、30分寝過ごす。急いで朝食をとり支度をして、9時半に家を出て教習所へ。10時から運転教習。踏み切り。2回エンストする。11時に終わった後その足で登校。11時40分に予定通り着き、生協パンショップでおにぎりを3つ買った後、掲示板前のベンチで座って読書。講堂が開くのを待つ。いつもどおり延長した前の授業が終わり、12時15分頃900番講堂へ入る。おにぎりを食べた後、友達と少し話して寝る。3限の教育臨床心理の授業が1時に始まる。寝る。最後の30分は聞いた。次の4限の社会1の授業は90分フルにしっかりとノートをとる。めちゃくちゃ集中している。前の時間寝るのはこの授業のための布石なのだ、毎週。5限の教育心理1はまた少し寝ながら受ける。別に嫌いでもないのだけれど。18時に帰路へ。帰りにBOOKOFFに寄るも、めぼしい本が見つからなかったので、手ぶらで帰宅。風呂に入りパソコンの前へ。どうしようもない。20時から夕食、21時からパソコンをつけ、今に到る。おそらくこの後は引き続き少しパソコンをやったあと、ギターを少し弾いて、アルゼンチン−ドイツのW杯を見るのだろう。

何の変哲も無い1日。多分、こういった変哲の無い1日を繰り返していく。

1年後、俺は何をしているのだろうか。

2年後、俺は何をしているのだろうか。

10年後、俺は何をしているのだろうか。

なぜこのような記述が可能かというと。

1日の行動を時間軸に乗せてつけ始めてはや2年が経過した。

元はといえば、あまりに勉強していなかったために、自分が1日何をしたかを書けば少しは自覚が出るだろうと思ったからである。そして2004年6月28日につけ始めて以来、だらだらと記録し続けて今に到る。結局のところ、それによってなんら改善は見られなかったのだが。今でも、当初の目的である、勉強していない自覚を持たせるためにつけていた時代の名残は残る。それは、勉強した時間には、その時間の集中度を5段階評価で付記してあること。3時間やったとしても、集中力が全然無かったら意味が無い。そのため、「世界史100題③」と書いてあったりする。ちなみに、昨日の夜のレポートの集中度は①。どうしようもない。⑤は滅多に出ない。だいたいが③、良くて④。①や②は頻発する。

特につけているからといって特別な意味は無い。別にこういうことをしなければ普段読み返すこともないし、今はもはや惰性でつけている感じだ。週に2,3回くらいの頻度で、思い出してはふとつけている。大学に入ってからは出納帳もあわせてつけるようになって、今はどちらかというとそっちがメインなのかもしれない。その日使ったお金を思い出すために、その日の行動を書き留めておく、見たいな。

ちなみに、こればかりは誰にも見せられない。見られた時には、ホントに怒るかもしれない。やましいことは書いていないけれども、プライベートを予期せぬ形で見られることは好まないのだ。こうやって自分から見せる分には別にいいのだけれど。

さて

1年前と2年前から俺は何か変わっているのだろうか。結局何も変わっていない気もするし、変わっているところは変わっている気がする。しかし、まだまだ納得できない部分があるのは確かだ。そしておそらく、この先も引き摺り続けるのだろう。うまいこと対話しながら、なだめすかしたり時には欺いたりして。神にでもならない限り、どうやらそんな自分を超克するのは不可能なのかもしれない。ただ、漸進的にではあるが、変化しているのは間違いないのだろう。時に客観視を挟みながら、変化を重ね、いつしか許容できるようになっていることを願うのみである。

その他にもあまりにも多くのことを思ったのだけれど、長くなりすぎるので(これでも十分長い。)やめておく。それに、多分文章にならないし。