上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

自<他

どれだけ自分が正しいと思っていても、他人の言っていることのほうが正しいことがある。

いくら自分の判断を貫きたいと思っていても、本当は他人の言っていることが正しいことは往々にしてある。そこでいかに自分を諦めさせられるか。いや、諦めさせるという表現は良くないかもしれない。とにかく、他人のほうが正しいということを受け入れること。どれだけ自分が正しいと思っていても。

結局あとになってみると、自分の判断のほうが間違っていたであろうことに気がつくのである。それがわかるのは、絶対、あとになってから。そのときには100%に近いくらい自分のほうが正しいと思っていたとしても。「あぁ、結局あのとき言うことを聞いておいて良かったのだなぁ」と思うのです。自分よりひとまわりもふたまわりも年上の人とか、経験をたくさん積んでいる人の言うことは特に。受け入れるべき人かどうかの判断はもちろんしなければならないけれど。この人の言っていることだから、間違ったように思えても受け入れたほうが後々良いことになるのかもしれない、という判断が必要になるけれど。何が何でも我を通さなければならないときももちろんあるけれど、人の意見を素直に聞いたほうがうまくいくことだって、たくさんあるのです。「自分としてはこう思うけれど、どうせまた俺が間違っていて、多分向こうのほうが正しいんだろうなぁ…」って思えるかどうか。

そして、そういう事態が起こりうるのは、割と気分が下がり目になっているとき。そういうときって、状況判断能力が低下しているから、間違った方向に進みがち。そういうときこそ、冷静に客観的に見てくれる周りの人のほうを自分よりも信じてみることがあっても良いのではないかと思われます。

経験則的に。やっぱり自分は間違った判断を下しがちなのですよ。まだまだ。