上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

社会主義

なんとなく昨日の授業中に思ったのだけれど。

社会主義

ロバート=オーウェンという人はその昔、空想的社会主義を打ち立て、実際にその実験を行った。小さなコミュニティ内での社会主義の実践を目論んだのだが、結果的にその実験は失敗に終わる。オーウェンの人となりはこちら社会主義の基礎的な概念を考えていたような人、とでも言えばよいかしら。

こういうコミュニティ、自分の身の回りの人で厳選すれば、作ることは可能なんじゃなかろうか??とその昔、高校のときに思ったのである。確かに人がある程度集まればどうしても権力とかそういうことが浮かんでくるかもしれないけれど、割と人選を厳密にやって、本当に信頼の置けるごく少数で自給自足的な生活を行えば、そういうのと関係無しに、ある程度の充足した社会主義は可能なのではないか、と。利己的なことばっかり考えるような人間ではなく、割と自己犠牲的、献身的な考えを持っている人ばかりを集めれば本当は社会主義はうまくいくんじゃないかと。自分の周りにはそういうことの出来る人が結構たくさんいたからかもしれない。社会主義国家は、規模が大きくなりすぎてしまったがために、それにそぐわない人も含んでしまったがために崩壊してしまったのだろうけれども、と。オーウェン同様、空想的社会主義と呼ばれるかもしれないけれど、それはそれでうまく行ったならば本当に気の置けない仲間だけと付き合っていれば良いからユートピアになるんじゃないのかなぁ、とか思っていたのである。当時の自分は。

今になって考えてみると、多少危険思想の含みがあるのは否めないし、単純に考えて、多分、それだけの少数でずっと共同生活をしているとおそらく飽きる、と思う。やっぱりある程度の相当長い時間を一緒に過ごすことになるわけだからね。高校のクラスメートとかサークルの構成員とかとは比べられない、それ以上の時間を一緒に過ごすことがおそらく求められる。そうなったときには、やっぱりいくら仲が良いといっても、何が起こるかはわからないんだろう。利己的な心っていうのは、いくら個体差があるとはいえ、人間のどこかには巣食っているわけで、やっぱり適切な距離とかっていうのはあるんだろうなぁ、とふと思ったり。やっぱり共同社会なら古くからの村の結びつきとかくらいのものがちょうど適切なのかもしれない。最近は失われつつあるけれど。

ホントはもうちょっと色々発展させて考えたんだけど、あてどもないから別に良いや(笑)。なんとなくそんなことを思った昨日の3限でした。

付記

ちなみに逃げのような付け足しになってしまうのだが、僕自身あまりこういうことに関して詳しくはない。あくまで、世界史の教科書程度の簡単な知識に基づいて勝手に妄想しているだけで、本なんかも読んでもいないし、その道に詳しい人とかには足元にも及ばない。もしあやふやな知識によって見当違いなことを偉そうに言っていたとしたら赤っ恥なのだけれど。その辺はお許し願いたい*1。あと、コメントしづらい内容でごめんなさい(笑)。たまにあるんですよね、こういう「コメントしづらいだろうなー」って自分で思う日。まぁ別にさらっと読み流してもらって構わないです(笑)。

*1:もっとも、ブログを書いている以上こういうことはいっつも頭の片隅にあるのだけれど。っていうか色々な葛藤が…。