上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

抱負

来年の抱負とかそろそろ考えてみているわけですが。

抱負というのはやっぱり目標みたいなもので、自分の出来ないことをできるようにするとかそういうことを設定するものだと思います。年明けに宣言することである程度自分の意識の中にしっかりと刻み付けることで、その後の変化を期待するものとして。次の年明けまで、っていう期限もあるから、達成目標としては割と適切なものなのかもしれないですね。

意識して変えられるものなのか、それとも変えようとしても結局変わらないのかという問題はメタレベルで根本的に存在しているのですが。とりあえずそのことは考えないことにして。意識し続ければいつかは変わる、という前提の下で話を進めてみたいと思います。

背後に忍び寄る影

変わるということは、新しく手に入るものもありますが、その裏では失ってしまうものもあるわけです。そしてそういうのは大抵、変わってしまった後に気がつくことが多い。結局目標を定める時点では変わった後の「良い面」ばかりを見て目標を定めるわけですから、その裏に隠されている「悪い面」に気がつきにくい。良い面と悪い面は必ず背中合わせについてきます。親切心も一歩裏返ってしまえばお節介になり得るのです。

そして、その二面性がまた自分自身を苦しめることにもなるのです。良い点を1つ得れば、必ずそれに付随してくる悪い点も背負い込まなければならない。うまいこと両立できれば良いですが、その兼ね合いは難しいところです。そして葛藤が生まれる。矛盾も生まれる。でも、あるひとつの方向性を目指そうとするならば、両方を抱えたまま行くしかないのです。そして、良い点を極めようとすればするほど、対極に位置する悪い点も大きなものとなってきます。親切も、極めていけば物凄くありがたい親切になっていきますが、その分、それをお節介ととる人にとってはうざったいくらいのお節介になってきます。そしてその境界線は残念ながら定まっているものではない。線引きをすることはできないのです。

抱え込んだ矛盾に苦しみながら、なんとか対処していくしかないのでしょうか。

目標への到達

また、ひとつの道を選択するということは、他の選択肢を全て切り捨てるということにもつながるわけです。北海道と九州に同時に行くことはできない。九州に行くついでに中国地方に立ち寄ることは出来ますが、九州に行くついでに東北地方に立ち寄ることは出来ない。あるひとつの方向性を指向するということは、他の方向性へ進む道を断念するということになります。

ただ、それを恐れていてはおそらくなにも変わりはしないのです。

本当は北海道まで飛行機で飛んでしまえれば一番よい。そうしたら、何の迷いも無くとっても簡単になりたい自分になれます。これが出来る人は物凄く強い人なんでしょう。しかし、人間ですから、やはり迷いは生じます。おそらく飛行機で行ける人はいないでしょう。いかにその迷いを切り捨てるか。

「何も考えずにとりあえずやってみて、駄目だったらそのときなんとかすればいいじゃん」と割り切れる人とか、「悪い面は見えるけれども、それを上回る利益があるからそこに目をつぶる覚悟は出来ている」という強い人とかは、多少おそらく新幹線で一気に行ってしまうことでしょう。多少途中駅に立ち止まりながらも。そして行った先で何かがあっても、うまく乗り切りながらなんとか対処していく。

「本当にこの方向性でいいのかなぁ」なんて思ってしまう慎重な人は、各駅停車に乗りながら、常にこの経路で行くのが正しいのか、その行き先に何が待っているのかを、逐一時刻表やガイドブックを駆使して見ながら行くのでしょう。

迷いが生じる人は、そこでいろいろなものを見すぎて、路線を変更して別の道に行ってみたり、それとも間違いに気がついて反対方向の電車に乗って戻ったりを繰り返すのでしょう。その生き方は、大雪などの異常気象に応じて方向を変えることが出来る反面、なかなか目的地にたどり着けません。ひょっとしたら、たどり着けないかもしれない。自分が北海道という地に本当に行きたいのか。そこで何がしたいのか。東北でも満足できるんじゃないか。そういうことを座席に座って考えたりしているかもしれません。もしかしたら、既に東北まで来てしまっていて、九州へ行けばよかったと後悔しているかもしれない。

たどり着いた先には得るものもありますが、失うものもある。結局はそういうことなんでしょう。夏の涼しさを取れば冬の寒さもある程度は覚悟しなければならない。それでも覚悟を決めていくのか、それとも途中で妥協してしまうのか。乗りかかった船にはのってしまうべきなのか、それともやっぱりやめるのか。おそらく、行ってしまえば行ってしまったで何とかなるもんなんだと思います。恐れとの戦いですかね。未知の土地への。

おそらくそんなことを繰り返しているのだと思います。いつまで経っても。

もっとも

「なるようになるっしょ」とか言いながら、目標も定めず、来た電車に乗って、たどり着いたところに行く人もいるのでしょうが。でも、多分そういう人も、着いた先でうまく対処してやっていくことでしょう。

まとめ

比喩ばっかり使ってないでそろそろまとめましょうか。

新年の抱負を決めるということは、目標を一個定めるということです。そしてどうせなら、1年かけて達成したい大きな目標を掲げたいところです。しかも、具体的なものを。具体的であればあるほどやるべきことは明確になってくるでしょうから。しかし、上で述べてきたように、そのことには常に葛藤が付きまとう。その葛藤と相談しながら、具体性抽象性をうまくバランスを取りつつ、方向性を定めていくのでしょうね。

今ある現状に対してももちろん葛藤も矛盾もたくさん抱え込んでいます。その中で、どの部分をどう変えてみたいのか。最初にも書いたとおり、「そもそも変わるのか」っていう疑問は付きまといますが、意識しないよりはしたほうがいいでしょう。ただ、今年は総合的に見て、良い方向へと向かうことが出来たような気がしています。そして多分、その道はまだまだ途中です。半分までも来ていないかもしれない。おそらく来年も、内包しているこれらの矛盾に左右されながら、方向性を確認しつつということになるのでしょうか。あんまり偏り過ぎないようにしたいものです。ただでさえ偏りがちですから。

…多分、抽象的なものになりそうです。