上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

表出

口に出すと意識してしまうこと。他人に語ることで意識してしまうこと。文字にして書き残してしまうと意識してしまうこと。ブログで公開すると意識してしまうこと。どうも、概念として捉えてしまうと同時に意識してしまうと思われます。

人に話すとは

人に話す・説明するっていうことはつまり、自分の中で考えとして消化されていなければ話すこともできないわけですよ。ということは、人に話す時点でそれは自分の中で曖昧な考えから明晰で論理立った考えへの整理が行われているということになります。例えその考え方自体が間違っていたとしてもね。あるいは、自分がこれでいいのかと迷っていることに対して人に助言を求めるときにも、自分の中である程度整理をして、要点をわかりやすいようにしてから助言を求める必要があるわけです。それこそぐちゃぐちゃなままの頭を人に話したって、おそらく理解はしてもらえないわけだし。"『これ、どう思う?』って聞かれたときには既に買うことが決まっている"っていうのもある意味これと同じことなんじゃないかなぁ。だから、口に出していったときから、とか、文字にして書き表したときから、急にそのことが意識の中で肥大化していく、といった事態が起こるのではないかと思います。

自分に話す?

もちろん、意識化で反芻するうちに意識してしまうこと、外に出さなくても意識化で膨らんでいくこともあります。でもなんとなく、それは自分自身を納得させるために自身に対して論理立てようとしているんじゃないかとも思うのです。思い込みなんていうものもそうやって形成されていくものなのではないかと思います。自分の中で出てきた考えってやっぱり、どうしても論理立って考えられていたほうが落ち着きますから、「ああ、そういうものなのかも」って納得させてしまうこともあるのではないかと思いますね。そして、概念として自分の中である程度明晰に論理立った形にしてしまった時点で、その考え方に囚われてしまうのではないでしょうか。気づかなければ考えることもない、ということですね。

色々悩んでしまう人というのは、やはりどうしてもこういった形での「明晰な答え」を求めようとしてしまうからその過程で葛藤が生じてしまうのではないでしょうか??。そしてその過程である程度の決定的な判断を下すことができないから「明晰な答え」は出てこない。むしろ、「明晰な答え」があるという幻想にとらわれてしまっているのかもしれません。考えすぎないこと。これが結局一番いいんでしょうけどね。なかなかうまくはいってくれない。

人目の意識。

それから、人に対しての表出、という話に戻りますが、自分が人に対して言ったことに対して、その後人からそういう目で見られてしまう、というのも意識してしまう部分はあると思います。外に対して何かを表す、ということに対してはどうしてもこの問題が付きまとう。自分が外にしたことがキャラとして固定化されてきて、そういう自分を無意識のうちに演じてしまうこととか。よく「人の前では良い子で居続けた」なんて表現が文章で出てきたりしますけれども。そういうのって結局誰もが持ってるんじゃないかと思うんです。程度の違いこそあれ。言葉というものは消えてしまいますし、会話というのはリアルタイムで進行します。しかし、書くという行為に対しては何度も考える時間はあるし、読み返す時間もある。そして何より、記録として残りやすい。そういう意味では、書くことのほうが話すことよりはそういう傾向は出やすいのではないかと思いますね。しばしば聞く、感情的になっているときに書いた文章を後から読み返すと恥ずかしかったり、という事態が起こるのは、おそらくこういう補正がかかっていないから、ということになるのでしょうか。

まぁ、人って自分が思っているよりも全然自分のことなんて見ていないものなんですけどね。

コントロール

僕自身そういう部分はやはり意識として持っているであろうことは自覚しています。ブログにだって書かないことはたくさんありますし、人にもあまり言わないようにしていることもありますし。それは、やっぱりある程度まとまった考えになっていないことを人に話すのに抵抗があるというのもありますし、自分の核心に近い部分を外に出すことに抵抗を感じるのもあるのかもしれない。「マイナスのこと」を書かないようにしている、というのもこれに当てはまりますね。あとは自分自身の判断でこれは書きたくないな、言わないほうがいいな、ってこととか。自分自身、結構人目を気にする部分というのは大きいだろうと思っていますので。また、そういうことを意図していないのにやってしまうことだって多々あります。会話しているときとかにも。自分の素直な感情を外に出すのが苦手な部分もあると思います。なんとなく無理して押さえつけている部分とかもあるのではないかと思いますけど、まぁそういうのも全部含めて自分なんでしょうね。自分でも、計算高いんじゃないかとか、なんでこんなことしてるんだろうとか嫌になったりすることは多々あります。ホントはもっと色々表に出したほうが良いのではないかと思うこともあります*1。こうあることにも葛藤はあるんです。でも、結局shioriさんのブログにも「同じような状況が何回も何回も続くのは、その状況がすきだからです。つまり、不幸なことが続く人は不幸好き。そうなるように自然と行動するらしいよ。それが本人の意にそうことであろうとなかろうと。」って書いてあったように、おそらくそれが自分のあり方なんじゃないでしょうかね。良かろうと悪かろうと。

っていうか

まぁ、これ自体も自分自身を納得させているような気がしてならないんですが(笑)。こうやって論理立った形にすることで。そして実はこの考えをブログに書くのも結構冒険的だったり(笑)。

*1:そう言いながら、出てるところは出てますけど…笑