上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

二項対立

時々、非日常的な出来事を重ねていても、それが日常なのではないかと思ってしまうことがあるのです。普段あんまりやらないような体験をしているときにも、それもまとめてでっかい日常の中に組み込まれているのではないかということを思うことがあります。

対極

僕の中での非日常というのは、たいてい良いことなのですが、良いことというものも、あんまり長いこと続くとそれが当たり前のように感じられてしまうのでしょう。それが、非日常を日常と感じてしまうことの元凶なのかも。

人間、逆であったり別であったりの立場を経験することで今いる位置を再確認するのだと思います。二項対立で言えば反対側の立場に立って初めてそれまでいた立場を認識する。幸福は、不幸あっての幸福。幸福がずっと続いたところでそれが当たり前になってしまえば、ありがたみもあまり感じられなくなってしまう。逆に、不幸がずっと続いていた中での幸福は、たとえ小さなものであってもそのありがたみは何倍にも感じられるはず。今自分が立っているところを客観的に見ようとするならば、どうしても別のところに立たなければならないのです。そして、それはなかなか難しい。どうしても、今いる位置にとらわれてしまうでしょう。

「日常・非日常」に当てはめて言うと

要するに、非日常もそれが続いていくならばだんだんと目新しさが無くなって、日常に近づいていくのではないかということです。これが、時間が経ってまた周りの環境が変わったりしたら、過去を振り返って別の立場から客観的に眺めることが出来るのでしょう。あとになってから気づくことは多いものです。それはこうして違う立場に立ってからこそわかるということなのではないでしょうか。

客観的視点

あとになってから、では遅いこともたくさんあります。そこで、今自分がいる状況を客観的に見ることができるようにしたいわけです。非常に難しいことなのですが。訓練してできるものなのかはわかりません。そして、多分僕自身フィルターを通して見てしまいがちな人間だと思いますから、先入観とか固定観念とかが出来てしまうとなかなかそれを離れて客観的な立場に立つことは難しいのだと思います。ただ、やはり、将来的には絶対に必要になってくるであろうことでしょうから、身につけたいなぁ…と。

これは

結構古い昔から思っているんですけどね。1年半くらいかな。その間に成長したのかどうかは…それも客観的に見てみないとわからないのかもしれない(笑)。