上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

後ろ向き

ここのところ割と状態が悪くて、余計な後ろ向き思考にだいぶ捉われていた。

後ろ向き思考はとても厄介なもので、前にも書いたけれど、頭の中のメモリを常時余分に食われているようなものだと思っている。外界で起こっている物事を受容するとき、自ら何かアクションを起こそうとするとき、そこには常にマイナス方向の負荷がかかっている。前向きに物事を受容しようとするとき、前向きに考えて何か行動を起こそうとするとき、「本当にそうなのか」という疑念が常に差し挟まる。それを否定しようとするところからすべてが始まる。基本的にマイナススタートになるのだ。だから、その状態からプラスに持っていこうとするには、ゼロの状態よりも余計な力が必要となる。

蟻地獄にはまっているようなものだとも思っていて、基本的に、常に下に落ちようとする力に抗い続けている。グラウンドレベルまで達し、地獄を抜け出た時には、そこにたどり着くまでに多くの労力を使ってしまっているために、外界を自由闊達に歩き回るだけの力はあまり残されていない。少しでも気を抜くと、すぐに足元には蟻地獄が出来ており、また、うわっと下に引きずり込まれそうになる。

そして、これらが厄介なのは、解釈の問題である点にある、と思っている。外界で起こっていることを、自分の中に取り込む過程全てに関わる問題。「明るい未来」が仮にあったとして、あくまでそれは外の世界にある事実なのである。「明るい未来」を「明るい未来」だと認識するのは自分自身なのであり、そこには解釈が差し挟まる。もし仮に、「明るい未来」を「明るい未来」だと認識できないとしたら?そこにフィルターがかかってしまっているとしたら?問題は、そういうことなのである。いくら外の世界が好転しようと、いくら傍から見て良い環境に置かれようと、それを解釈する内面に問題を抱えていれば、良いものを良いと認識することが出来ない。

その状況を客観的に眺めることが出来ればよいのだけれど、理解はしているつもりでも、なかなか振り切ることは出来ない。「自動思考」という用語を与えた人は良く考えたと思う。知識をいくらつけたところで、結局、自分の中にあるものが変わらなければ、対処できない。うまく飼いならそうと10余年格闘してきたけれど、未だに飼いならすことが出来ていない。ちょっと状況が悪くなると、すぐに状態が悪くなる。自分の状態が悪くなると、他の人にもいい影響を及ぼさない。悪循環。

外の世界にある素敵なことを、その通りに受容できていないっていうのは凄く損なことだと思っている。きっと、そのせいで逃してきたことはとてもたくさんあるし、せっかく掴みかけたものを自分の手で台無しにしてきたことだって、考えつく限りでもたくさんあるし、それ以上にもたくさんある。台無し。

わかってはいるんだけど。いい加減、第三者の診断が必要なんだろうか。「専門」の。宣告された方がいいんだろうか。あんまりそれもまともじゃないと思うけれど。